テレビとネットの横断業界誌 Media Border

2022年03月号

「テレビ離れ」という厄介な発想

2022年03月08日 10:04 by sakaiosamu
2022年03月08日 10:04 by sakaiosamu

Introduction
半年ぶりの山本英治氏からの寄稿。業界で流通している言葉にはユーザー目線に欠けているものが多い。「テレビ離れ」もその一つではないか、というお話だ。

 

書き手:毎日放送・山本英治

インターネットと連携した形で展開する自社のスペシャル番組のリリース文を読んでいたら、「テレビ離れが進む若者に訴求するため」と書いてあって、少々げっそりした。 

どうしてこんなことを書くんだろう? 

こんなことを書くと、逆にテレビ離れしてしまった若者たちには最初から見透かされて、全く観てもらえないんじゃないかという気さえする。

そんなことを愚痴っていたら、今度は民放キー4局が同時配信を開始するという記事に「若者を中心にテレビ離れが進む中、視聴者を開拓するのが狙いで」という文言があって、とうとう頭に来た。

どうしてこんなことばかり書くんだろう? こういう「テレビ離れ挽回論」には辟易するばかりである。

 テレビ離れがなんたらかんたらと言うのは完全に送り手側であるテレビ局の内向きの論理と発想であって、観る側には何の関係もない。まるで、「バーに飲みに来なくなった客に家で飲む酒を買わせるぞ」と言っているようなものである。

 ユーザ目線に立っていたらそんなことは言うはずがない。普通にオススメするのであれば、「お店でも家でも、好きなところで飲んでね」みたいな表現がふさわしいはずだ。

 ウチの会社は設立時にはラジオ局だった。それがテレビ放送に乗り出す時、ラジオを聞かない人を取り込むとか取り込まないとか言っただろうか? そうじゃなかったはずだ。テレビという新しい媒体が出てきて、「これすごいよ! 面白いよ! やろうよ!」となったのではないか?

 インターネットも同じだ。新しくて面白い媒体が出てきたからそこに広げてみたいというのが素直な感覚ではないだろうか? 現状の売上の実態がどうであれ、テレビに取り戻すとか、あくまでテレビがメインであるとかいう発想は全く不要である。

 テレビ離れで目減りした分を取り返せるか取り返せないかは社内のクローズド・スペースで語れば良いのだ。もっぱら古くて硬い頭の持ち主である一部の役員の説得用のフレーズとして語れば良いのである。

 観る側がテレビ離れしているかテレビにしがみついているかなんて、そう言われるほうにしてみたら全く余計なお世話だ。「当社はテレビでもインターネットでも番組をお届けします」で良いではないか。ユーザの利便性を第一に考えていたら必然的にそういう表現になるはずだ。

 逆に言うと、そういう視座を持っていないから「テレビ離れ挽回論」が跋扈することになる。

 でも、上でも書いたように、ネットとの連携/融合を進めて行く中で、社内でどうしてもそういう表現を使わざるを得ないケース(と言うか時代)があったのも事実だ。かく言う僕もそんな言い方をしてしまったことがある。

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