テレビとネットの横断業界誌 Media Border

2023年07月号

ある放送局OBから放送業界へのメッセージ

2023年07月07日 08:59 by sakaiosamu
2023年07月07日 08:59 by sakaiosamu

Introduction
7月4日の記事「新聞業界がNHKを『民業圧迫』と詰めても誰も得しない件について」に、何人かの方が反響をくださった。その中に、ある放送局OBの方から、長文の思いの詰まった意見があった。
読むと、私の記事同様、議論の不毛さへの嘆きが書かれていただけでなく、放送局にとってのDXが5ヵ条に渡って書き記されていた。その5ヵ条は放送業界に限らず多くの人にとって参考になりそうだ。
そこで、この原稿を匿名の形でMediaBorderに掲載してよいかとお願いしてみたところご了解いただけた。修正してくれてかまわないとあったが、力強いからこそそのまま掲載することにした。少々長いが、みなさんぜひじっくりお読みいただきたい。
※ここから↓(太字は私がつけたもの)

放送業界にとってのDXとは?

地上デジタル放送、いわゆる「地デジ」が東京、名古屋、大阪で導入されたのが2003年。それから20年を経て、日本の放送業界は果たして“デジタル”化に成功したのでしょうか−
そんなことを考えたのは、スマートフォンの登場から15年、テレビ離れ、広告費の減少、NHKの受信料制度への懐疑など放送メディア自体の地盤沈下やメディア業界全体のグローバルな地殻変動が起きているにもかかわらず、NHKと民放がいまだに、いかにも“昭和”な泥試合を繰り返しているからです。
たしかにNHK、民放のすべての放送局の放送電波はデジタル化し、ほぼすべての家庭に普及していたテレビはフラットパネルに一斉に替わりました。その意味で地デジ化という官民を挙げたナショナル・プロジェクトは成功だったといえるのかもしれません。番組・コンテンツの制作プロセスに様々なデジタル・システムが導入され、最近では各局ともSNSの活用をはじめ、遅ればせながらの同時配信を含めて、多様なインターネット・サービスに取り組み始めています。しかし、根幹のところで、NHKも民放も総じて、思考様式や経営の意思決定について、甚だしくアナログ時代の滓(おり)のようなものを残しているのではないかと思わざるを得ません。

総務省で行われている「デジタル時代における放送制度の在り方に関する検討会」では、今日的な放送メディアの社会的使命や放送局のサービスを将来にわたってサスティナブルにしていくための方策など重要なテーマの議論が行われています。その中でひときわ大きな焦点になっているひとつが、NHKのインターネット・サービスを放送法上の必須業務として“公認”しNHKがインターネットのサービスをさらに拡充していくことを是とするかどうかをめぐる議論でしょう。
しかし、これが議論されている「公共放送ワーキング」という会議を何度か傍聴しましたが、十年一日どころか二十年以上もトーンが全く変わらない、NHKや民放の稚拙な説明やプレゼンを見聞きするばかりで、失望と落胆を禁じ得ません。双方とも放送の再価値化に向けた理念や信念に基づく具体的で説得力ある主張ではなく、「それを言っちゃあ、おしまいよ」とも言うべき、かえって有識者メンバーの反発や炎上を招きそうな、そして一般社会では受け入れられないような独善的な論理や多くの人が理解困難な抽象的な説明ばかりを繰り返し、貴重な時間を空費しています(そういえば、以前の通称「諸課題検」なる検討会でNHKの同時配信の是非の議論を始めてから、その実現までに5年も要しました!)。
NHKは制度上の「必須業務」化を勝ち取るために、めざすべきサービスを矮小化して提示(今よりもレベルダウンすることも示唆)するなど、いたずらにアンシャン・レジーム(旧体制)のメディア業界から警戒されないことを優先させています。これは本末転倒であり誤魔化しにすぎません。極論すれば、そんなことなら、膨大な時間をかけてインターネット・サービスを必須業務化する必要性は認められないし、新しい時代のサービスを切り開いていこうという気概や自信が無いなら「公共メディア」などと自ら誇大広告しなければいい。一方、民放連や新聞業界もNHKのインターネット・サービス拡充が肥大化、民業圧迫になると旧来の主張を繰り返すばかりで、有識者委員からそれらは具体的にどういうことを指すのかと問われても具体的に答えないうえに、会議事務局や委員に会議の意図について逆質問する、いわば「まな板の上の鯉」が料理人に向かって刃向かっているありさまです。
NHKについては、NHKがインターネット・サービス拡充の重要な要素として好んで使う「理解増進」というキーワードを引用させてもらえば、「理解増進」の絶好の機会であるはずのNHK会長の記者会見でも、会長や臨席の幹部が(そりゃあ、NHKに批判的な記者たちが鵜の目鷹の目でツッコミどころを狙いアラ探しをしているとはいえ)視聴者・ユーザーとの橋渡し役となる記者の質問に真摯に向き合わずに防御的で木で鼻を括ったような答えばかりを繰り返し、“理解”や“信頼”が増進されるどころか不信感ばかりが募っています(何なら記者会見を「理解増進」のために「同時配信」するくらいの知恵を出せばいいのに…と、皮肉でも何でもなく、思います)。
いわば、本来なら日本におけるデジタル社会・産業・文化の発展の重要な一翼を担うべきNHKや民放が自らの責任を果たそうとせず、それぞれの企業防衛のために泥試合を演じ、ただでさえカオスなメディア状況の中、全体として放送業界のプレゼンス低下に拍車をかけています。
 
DX=デジタル・トランスフォーメーション。あらゆる業界、企業・団体、業務でその必要性が説かれ、その企業や業界の発展や存続を賭けた、経営戦略上のキーワードになっています。好むと好まざるとに関わらず、グローバルな競争の激化と多様性やサスティナビリティが重視されるパラダイムの転換が進む中で、いわば、改善でなく改革、それでも生ぬるいような「劇的な刷新」が、生き残りの条件になっているからです。
トランスフォーメーションは「変革」と訳されることが多いですが、本来的な意味は「刷新」とか「転換」等とすべきで<よりよいプロダクトやサービスを提供するために、一定程度、既存のサービス・製品やそれをつくるためのワークフロー、経営モデル、経営体制の否定や破壊を伴うもの>と理解すべきことばです。そして、DXの教科書に必ずというほど書かれていることですが、蛇足を承知であえていえば、「デジタル」はあくまでその手段やツールにすぎず、デジタル技術を使うこと、導入すること自体が目的ではありません。

(参考)Transformation:
a complete change in the appearance or character of something or someone, especially so that that thing or person is improved.
the process of changing completely the character or appearance of something in order to improve it:
〜Cambridge Dictionaryから引用〜
(拙訳)トランスフォーメーション:人やモノの(特に、人やモノが発展するための)外観や特徴の完全な変化。そしてその過程。

放送業界は、指数級数的なデジタル技術の進化によって、①サービスの態様(コンテンツ)や②その提供の仕方(伝達手段、ビジネスモデル)、③ユーザーがサービスを享受する手段(デバイス)が劇的に変化し、④グローバル・プレーヤーとの競争にさらされている、という点で、「業務プロセス」だけでなく「サービス内容」の面でも高付加価値化と効率化という刷新を迫られています。いわば放送業界こそ、メーカーや金融や流通など他の業種にも増して、二重、三重、四重にDXが急務といえます。
しかし、NHKも民放も、いまだにDXの本質がまったく理解されていないか、少なくとも具体的な行動として現れていない、としか思えないような嘆かわしく悲しい事実ばかりが晒され、愕然となるばかりです。
 
放送業界におけるDXの意義をあえてブレークダウンすれば、

1.    事務・管理部門の業務の軽減・効率化、高付加価値化、生産性向上、コスト削減によって、よりアフォーダブル(affordable:ステークホルダー=視聴者、受信契約者、株主、広告主等から見て費用対効果の高い)な組織運営体制を構築する。

2.    取材・制作プロセスのワーフフローの改革(効率化と高付加価値化の両立)によって、提供するコンテンツの質の向上を図るとともに、ワンソース・マルチユース化を拡充する。

3.    上記「2.」の一環として、従来の放送番組とは異なる、新しい付加価値をもったサービス創生する。たとえば、
●ビッグデータ活用=データジャーナリズムや、デジタルマーケティングによるコンテンツ価値やユーザー満足の向上。
●アーカイブスの再価値化、コンテンツの多用途化の拡充=オンデマンド、B2B番販、グローバル展開など。

4.    サービスモデル、ビジネスモデルをアップデート(刷新または転換)する。
●放送の最大のアドバンテージであり社会的価値でもある「一斉同報サービス」を維持(=サスティナブル)・拡充する。
・電波(やケーブルテレビ等)による放送システムの維持・効率化
・インターネットを利用した放送の同時配信
●インターネットの特性を最大限に活用して、従来の放送が不得手としてきた「個別ニーズ対応型」サービスモデルの強化・併存。
・見逃しサービス
・アーカイブスコンテンツの再活用、オンデマンド提供
・放送番組で伝え切れない補完的情報(ディープな背景情報や取材エピソード等)
・アヴァンギャルドな創造・挑戦を含め、既存のデジタル・サービスのプレーヤーたちも提供していないようなイノベーティブなサービス、新しい文化の創造
・放送局のブランド価値や親近感・信頼感を高め、個々の番組・コンテンツ・サービスにより多くアクセスしてもらうためのエンゲージメント・サービス
●(OTT等のリコメンドの多用やSNS等のエコーチェンバーなどに起因する)分断や対立、情報の偏在などデジタル社会の弊害を抑制し是正するための「包括(インクルーシブ)機能」や「コミュニティ機能」の拡大による、より豊かな社会の実現への貢献。

5.    経営の強靱化のために、ビジネスモデル(経営モデル)を刷新または再価値化する。
●まずは既存の「受信料制度」や「NHKと民放の二元体制」に今日的な意義や社会的な妥当性・価値があるかどうかを自己確認し、社会に問うこと。
●しかしそれを「墨守」することが目的であってはならず、あくまでこれからの放送の価値向上や社会的責任を果たすために不可欠なのかどうかという不断の検証も行われるべきで、場合によってはその見直し=改廃=も含め、放送メディアの社会的価値をサスティナブルにするための財源や存立基盤を経営レベルでゼロベースで検討すること。

…などということになるのではないかと考えます。
NHKが「公共メディア」を標榜し、民放も社会的な批判が高まるたびに「公共性」を声高に訴えていますが、社会でその存在価値を認めてもらうのであれば、上記の5つの要素を「同時並行」でかつ「スピード感」をもって実行する必要があります。それが本来のDXです。しかし、いまのNHKや民放で行われているのは「1.」だけか、せいぜい「2.」や「3.」に部分的に取り組み始めた程度で、包括的、戦略的にDXが行われているとは、とてもいえないでしょう。
もう何年にもわたって、NHK自身も、行政も、敵対する民放や新聞までもが、上記の全体像のごくごく一部にすぎない「同時配信」が放送と通信の融合(なんと手垢のついた言葉か!)の象徴であり、DXの姿なのだと勘違いしているのではないか、としか思えないような、緩慢な神学論争や禅問答にも似た応酬が延々と続いてきました(宗教者の皆様:神学や禅僧の問い掛けを悪く言う意図はありません!)。本来は「3.」や「4.」のジャーナリズムやクリエイティブの質的充実と公共性の実現こそ放送業界が個々の事業者の利害や対立を超えて、連携して実現すべきサービスであり、GAFAなどのグローバル・プラットフォームでは実現できないか、必ずしも十分ではない=つまり放送が公共的なメディアとして社会的責任を果たす存立基盤なのだ、と矜持をもって強く主張できる領域のはずだし、それを実行していくべきです。
経営の強靱化という点でいえば、NHKでは経営陣自らが文字通りコンプライアンス上、大きな問題となるような(BSの同時配信という)脱法的な意思決定をしたり、経営委員会と会長・理事たちの対立も漏れ聞こえてくるなど迷走を繰り返しています。いわば、経営陣自身がガバナンス(企業価値の最大化のための統治)に逆行するようなことばかりやって、強靱化どころか、かえってNHKのブランド価値や公共的価値を毀損させています。
DXの失敗例として、経営者がDXの必要性を叫びながら実態は部下や担当部門に丸投げして内実が伴わない「やった気になるだけDX」「なんちゃってDX」の例がたびたび揶揄されますが、本気のDXは経営者がその「必要性」と「具体的な課題」をしっかりと認識し、顧客や従業員を含めたステークホルダーにどのような将来像を提供するのかという「ビジョンを提示」し、それに向けた「道筋」(=具体的に、何を変えるべきか、そして何を変えてはいけないか。そして、そのためにどのようなデジタル技術やツールや機能を使うのか)を“自分ごと”としてしっかりと理解していることが大前提の必須条件になります。
しかし、いまのNHKや民放のトップたちの顔ぶれをみると、たぶんそのような識見や能力をもち“皮膚感覚”でデジタル・テクノロジーのインパクトやグローバルなメディア業界の地殻変動を理解し、様々なシガラミを断ち切ってグランドデザインを描ける人は、残念ながらほぼ皆無といってよいでしょう。従来型の、部下や担当部門に丸投げして、現場からの(現状の延長線上の)“改善”か、せいぜい “改革”程度の提案の報告を受けてそれを了承したり修正指示を出したりする程度です。それでは「刷新」はおぼつきません。
(精緻な分析や具体的なエビデンスがあるわけではありませんが)おそらくは日本のテレビ放送業界がNHKと民放5系列・127社という現状の体制を中長期的に維持していくことは無理です。かつて護送船団業界の代表格といわれた銀行も、バブル期までは13行の都市銀行がありましたが、いわゆる金融ビッグバンを経て3つのメガバンクに集約されました。地方の金融機関ではいまも経営統合の動きが続いています。地デジが始まったころ、日本経済の象徴といわれ世界を席巻した日本のテレビメーカーは15社程度ありましたがいまや日本資本のメーカーはほんの数社だけになってしまいました。同様のことが最後の護送船団と言われる放送業界でも起こるのは必至です。
単純な料金値下げやインターネット・サービスを契約対象にするかどうかというレベルでない、受信料制度の抜本的な見直しや、地上波放送のハード・ソフト分離、NHKの組織形態の変革も含め民放の系列や局自体の統合や集約という“ビッグバン”も視野に入れなければならないフェーズかもしれません。いずれも「いまならまだ“攻め”の刷新がギリギリ間に合うのではないか」、「しかしインターネット分野の技術進化やサービスモデルの進化を考えると、残された時間はもはやそれほど多くはない」というのが現時点の私の見立てです。
宇宙船や惑星探査機にスイングバイという航法があります。通過する惑星の引力を巧みに使って最小限のエネルギー(燃料)で遠くまで航続させることを指します。NHKと民放は不毛な対立をやめて、視聴者・ユーザーや社会のために、そして自らの生き残りのためにも、互いのリソースやブランド価値を利用しあって〜たとえば「NHKが受信料という安定財源で新サービスを拡大させようとしている」などと批判だけするのではなく、また、認証の要否や広告の有無などビジネスモデルが違うから配信の基盤を共通化するのは難しいなどと「できない理由」ばかりをあげつらうのではなく、NHKの受信料を民放のインターネット・サービスの拡充を含めた放送業界全体のサービスのアップグレードやサスティナビリティに“したたか”に活用していくような大胆なパラダイム・チェンジを提案していくことも視野にいれて〜放送業界はより根源的なDXを実現させていくべきではないか。いつまでも局地戦、消耗戦を続けている場合ではありません。それは放送メディア自体の価値や評価を貶めるだけです。
レジリエンス(resilience)ということばがあります。もともとボールがつぶされて元に戻る反発力、回復力を指す言葉ですが、最近では劣勢をバネにして、抑圧されるその力を使ってかえって強靭性を発揮するときにも使われるようになってきました。柔道の極意として、古い中国の兵法書をもとにした「柔よく剛を制する」(柔軟性をもってしなやかに相手の力も利用しながら剛強なものを押さえ込むことができる)という言葉もよく使われますが、似たような考え方でしょう。
インターネットの「力」に捻じ伏せられるのでなく、その力を、放送の今日的な理念と使命を実現していくための格好のツール、手段として最大限に活用することによって、自らを刷新し、価値を高めてレジリエンス(反発力、強靱さ)を発揮していく。それが放送業界全体に求められているDXなのではないか、と思います。

ここまで↑
5ヵ条はまさにその通りで、ただ番組をネットで流すだけでなく、コンテンツの見せ方伝え方そのものをデジタルを活用した形にし、それに沿ってビジネスモデルそのものも新たに変えるのがDX、トランスフォーメーションだ。そこがわかっていない人が多い。そして5ヵ条の前後の文章は、私などが書くよりずっと深く強い想いがほとばしっている。
このところ、放送に携わってきた方々の「忸怩たる想い」が伝わってきている。もしあなたにも想いがおありなら、MediaBorderを通して発信していただくことは可能だ。私宛にご連絡を。ただし、私にだけはお名前とプロフィールは明らかにしていただきたい。また掲載については私に判断させてもらう。
ご連絡はこちらへ↓

sakai@oszero.jp

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特に「どうすればいいか」については豊富な事例で具体的にお話ししたいと思っています。
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