テレビとネットの横断業界誌 Media Border

2018年11月号

「さよならテレビ」はテレビの何にさよならしたのか〜東海テレビ・圡方宏史氏インタビュー(後編)〜

2022年02月03日 14:32 by sakaiosamu
2022年02月03日 14:32 by sakaiosamu


「さよならテレビ」の1シーン、報道部の面々に趣旨を説明する圡方氏                  (c)東海テレビ 

 話題の東海テレビ制作のドキュメンタリー「さよならテレビ」ディレクターの圡方氏へのインタビュー、前編はいかがだっただろうか。読んでない方は先にそちらをお読みいただきたい。

「さよならテレビ」はなぜテレビをさらけだしたのか〜東海テレビ・圡方宏史氏インタビュー(前編)〜

前編の最初に紹介した東海テレビのCM。そこに「さよならテレビ」がすでにあったと書いた。このCMはACCなど多くの賞を受賞しており、よくできている。これを見た時、私は「圡方さんはコピーライターだな」と思った。取材後にそのことを彼に伝えると、広告代理店と組んで作ったものでコピーは自分が書いたわけではない。コピーライターとはおこがましいです、と言っていた。なるほど、コピーがまたよくできていたのだが彼の作ではないようだ。だとしても元々コピーライターである私から見て、圡方氏はコピーライターだと感じている。

コピーを書いたかどうかとは別に、コピーライターは企業と消費者の間に立ち、互いの言葉を翻訳する存在だ、とその昔教えられた。その意味で、圡方氏はテレビと視聴者の間で双方に何かを伝えようとしているのではないかと思うのだ。その作業に胸を打たれる者もいれば、心を逆なでされる者もいる。感情を沸き起こすことこそ「さよならテレビ」の存在価値なのだろう。

後編では、作品を離れたところの圡方氏の”思い”も聞いていく。最後の方は、できるだけ彼の言ったことをそのまま書き取って文章にした。書き言葉としていくぶんおかしい部分もあるだろうが、その分圡方氏の生の言葉を受け止めてもらえればと思う。

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聞き手・境(以下、S):放送は今年の9月ですね。それまで1年7ヶ月取材されてきて、2018年の秋に放送するっていうのを目標にしてたんですか?

圡方宏史氏(以下、H):最初からわかってたわけじゃなくて、取材していく中で、プロデューサーとだいたいいつくらいの放送になるんだろうと相談していきました。ただ最初からある程度の長期にはなるなと思ってたんで1年以上はかかるぞとは話してましたけど。

S:放送に至るまでに、先に社内でお披露目みたいなことはあったのでしょうか?

H:社内で試写はしました。一番最初にした三つの約束の中で、事前にプレビューしますというのがあったんで。

(注・最初の方で圡方氏らと報道部の間での三つの取り決め「・マイクは机に置かない・デスク会は撮影許可を得る・放送前に試写を行う」が出てくる)

S:そうでしたね。試写は放送の1カ月前とか?

H:直前ですね、放送の前々日でした。

S:その段階で「おいおい!」みたいな声は出なかったんですか?

H:まあ出たんでしょうけど。なんていうんでしょうね。東海テレビのドキュメンタリーって、さっき言ったように会社組織のアウトプットのやり方とちょっと違うというか、僕はすごく健全だなと思うんですけど、企画書出して上の方の人たちに承認されて、予算決めて期間決めてだいたい結論決めて、って走っていく形じゃないものですから。そこの部分に関してはあまり縛られていないですね。その辺りを、外部の方からすごく聞かれるので、やっぱりこの業界ってジャーナリストである前にサラリーマンになってるんだなって思いますね。裏側をすごく聞かれるので。どういう攻略をしたのかとか、“技”を聞かれるんですけど、“技”じゃないんだというのはすごく思います。例えば、この部署にちゃんと事前に”根まわし”しといてとか、そういうことじゃないから成立したような気もしますし。もちろん、番組を作って放送する際には会社の中に番組に関する会議体があって、そこでこういう番組を放送するよっていう報告が行われます。だからゲリラ的に、会社を裏切ってまでやってるっていう感覚じゃないんですね。それに関して言えば、僕は信頼関係があると思いたいというか。それは一回こっきりじゃなく今までやってきた中で、結果できてきた信頼関係です。そういう意味では現場を信頼してくれてるのかなと思います。

S:つまり上層部の誰々さんがやっていいって言ってるとかそういう話じゃなくて、東海テレビのドキュメンタリーはそういうものだと、みんなが思ってくれてるわけですね。

H:というのをプロデューサーが築いてきてくれたんだと思います。そういった意味ではプロデューサーとの確認作業は必要だということです。

S:社内で試写したり、放送した後で社内の皆さんのいろんな意見が出たんじゃないかと思うんですけど。伝わってきた部分ではどんな感じだったんですかね。

H:キャリアや年齢とかで違いがありますが、若い人は比較的視聴者に近い感覚だったかなと思いますし、やっぱり年次が上がるほど、会社やこの仕事とアイデンティティーが一体化しているので、傷ついたと言う人もいますし、この番組を世の中に向けて流すメリットがわからないとも言われました。東海テレビに人材が入らなくなったり、こんな会社なのかと世の中から白い目で見られてしまうことを危惧する声もありましたね。

S:視聴者から反応もあったと思うんですけど。

H:今ホームページに全部出てます。

S:事前に見ましたが好意的な意見が多いですね。

H:前作の『ヤクザと憲法』の時も意外だったのが、これは推測でしかないんですけど、見てる人たちって描かれていることだけでなく、どこまで覚悟をもってさらけ出してるかに評価の重きを置いてくれているのかなと。だから前作もヤクザは嫌いだけどいう前置きで、今まで見られなかったものを見せてくれたことがよかったという声も多かったですし、今回に関してもそこは一緒かなと思います。見られなかったものが見えたところかなと。視聴者の方の意見を聞くと、本来それが僕らの仕事の根本かなと気づかされたりもしますね。

S:あと、非常に強く思ったのは、『さよならテレビ』っていうタイトルだけど、あんまりさよならテレビじゃないかと。むしろエールとかね、頑張ろうみたいなものを感じたんですけど。

H:でも人によって違うので。「エール」と感じたという人は少ないかな。感動したっていう人もあんまりいないです。

S:えー!そうですか。

H:救いがないねって言われる方もいっぱいいますし。だから本当に、立場によっても、誰に感情を寄せるかでも、まったく違います。比較的澤村さんに心を寄せる人が多くて、福島に気持ちを寄せる人は逆に少ないですから。

S:そうなんですか!ぼくは福島さん中心で見てましたけど。

H:その人が生きてきた人生によって、誰にいちばん感情移入するかが違うのだと思います。

S:『さよならテレビ』というタイトルに込めた意味はどういう?

H:それよく聞かれるんですけど、タイトル自体に込めた意味はそんなになくて。それぞれ感じてもらいたいなというのがひとつと、それでもあえて言うのであれば、自分たちがかたくなに信じてきたこと、絶対そうあるべきと思ってきたことと、一回決別しないと再生するのは難しいかもしれない。裏を返すと、一度覚悟というか、さよならをする覚悟があれば決して暗くはない、というところでしょうか。

S:『さよならテレビ』がさよならしてるのは今までテレビがこうあるべきって、ある種、信じ込んできちゃったことに対してなんですね。

H:もしかしたら世の中からもうテレビ業界自体が衰退をしていって、終わりに近づいていると思われている節もある。それを代弁しているところもありますし、いろんな意味でつけたタイトルです。さっき言った自画像でもあるので、エールを込めたとしてもそれをタイトルに入れるのはこっぱずかしいことになるなというのは、ありました。

S:ちょっと聞きづらいことなんですけど。テレビ局のみなさんと見て、いろいろな意見があった中でひとり、日頃は落ち着いたキャラなのに非常に強く批判的なことを言っていた人がいて、彼が言うには「これは不満をぶつけただけじゃないか」と。ぼくも彼の批判ポイントが理解できてないまま言葉だけをもってきちゃったんですけど、報道部もしくはテレビ局への不満をぶつけただけじゃないかと言ってましたが、今目の前で言われたら何て答えますか?

H:うーん、そう見る方がいても、まあ仕方がない。そう見ましたかと。それは誰についてもそうですね。いま境さんがおっしゃった「あ、福島に感情移入して見られたか」とか。なんていうんでしょう、リトマス試験紙みたいな作品で、これを見てどういう感想を言われるかでその人がわかるっていうのはあるなと思ってます。別に無責任なことを言ってるつもりではなくですけど。だから、今回この作品を見て自分の中に何か強い感情が沸き起こってきたとしたら、それがなぜかを考えてもらうといいかなとは思うんですよね。どうしてこの人に引き寄せられるんだろうとか、なんで腹が立つのかとか。そこに何か自分とメディアの関わり方があるんじゃないかなと。僕も自分を出すことに対してすごく抵抗があって。最後のシーンは、あそこはもう自分では選びきれないので編集マンに完全に任せて絶対嫌って言わないからと言って選んでもらいました。そこについては自分でも嫌だなと今でも思ってますけど、何で嫌って思うかというと、自分の中でそういうことを本当に思ってるってところが嫌なんだと思うんですよね。あれが例えば演技とか本当に思ってないところを切り取られてるんであれば、悪い形で割り切れる、あれ演出だから別に俺じゃないって言えるんですけど、そうじゃなくて、本当の自分だから嫌な部分が抽出されていて嫌なんだろう。そう思うと、自分の中にもそういういわゆるマスゴミ的な部分、今回自分が撮ろうと思ってた部分が実は自分の中にあったことへの恥ずかしさがあるんだと思いましたし。すごく怒ってる人を見ると、逆にその怒りの理由ってなんだろう、もしかしたらこの仕事に誇りを持ってる方かもしれないし、それはそれですごくいいと思いますし。不満をぶつけてるだけじゃないかと言われたら、そうではないような気もしますけど。さっき言ったように、個々人には救いがあることは描いてますし、メディアの役割として、澤村さんに重ねる形で結果的に僕らの取材が例えば無罪という、もしかしたら冤罪になっていたものをメディアの力でひっくり返すことができる可能性もまだあるなとか、決して不満だけではないとは思いますけど、ただ業界全体が決して明るい材料が多くないのはありますよね。圧倒的に働き方改革も含めて、四面楚歌の状態は事実としてあるんで。不満ではないですが、暗いというのはあるかと思います。

S:少し作品を離れたこともうかがいたいんですけど、テレビに関していろんな危機がありますよね。例えば、視聴率の問題などビジネス的な側面がありつつ一方で、『さよならテレビ』の関連でいうとテレビが世の中の役に立っているのかとか、報道ってどういう役割なのか、そういったことが今、問われているしあんまり信頼されていないような気がするんですよね。ぼくもYahooで、テレビ報道が同じ題材に偏りすぎてることをデータ取って記事にしてるんですが、やっぱりちょっと今のテレビの物事の伝え方が良くないという気はしています。圡方さんはずっとドキュメンタリーのセクションにいらしたんでしたっけ?

H:ではないです。まず入社して10年ぐらい、キャリアの半分ぐらいは制作部にいて、情報番組もバラエティ番組もやってましたし、10年たって報道に来ても当初はドキュメンタリーではなくて、ニュース番組の中の企画コーナーとかをやってました。ドキュメンタリーを作るようになったのは比較的最近です。

S:そうなんですね。じゃあ余計にお聞きしたいのですが、特に報道のあり方が問われている中で、何が問題でどう変わればいいと思いますか。

H:でかい話を聞かれますねえ。一言ではちょっと難しいなと思いますけど、自分たちが伝えたいこと、というのが抜け落ちてる。これはメディア全般です。東海テレビとかテレビとかっていうのは抜きにして、メディア全体に自分が何に興味があるかが抜け落ちている。もともとメディアの役割って根本は人が見られないもの、自分が興味あるからみんなの代わりに見に行ってきてそれを世の中に伝えることだとすると、そもそも自分が何を伝えたいかっていうところが抜け落ちつつあって、視聴率、結果みんなに見てもらえるかどうかの部分、お客様の部分だとかあと、スポンサーですよね、あるいはタレント事務所の気遣いとか、あとは社内!誰のために作ってるかというと、内側向いてるケースが多い。例えば、自分はこの件にニュースバリューをあまり感じてないんだけど社内のルール、先輩から伝承されたルールで言えば、これはニュースバリューはあるんだと。だから、これはニュースとして大きいんだと、自分に思い込ませている。一周回ってもう一回自分がやりたいこと、自分が何に重きを置いてるかをちゃんと考えないと。YouTuberはその逆で、技術はまったくなくって映像も粗くて僕らプロから見ると、なんでワンカットこんなに長いんだとか思うんですけど、彼らの中にはやりたいこととか、伝えたいことがある。そこが見てる人にダイレクトに繋がっているのかなと思うと、一番足りないのは何がやりたいか。どうやって社内を通すかとか、どれぐらい視聴率が取れるような作りにするのかよりも、何をやりたいかが大事かなと。それは報道に限らず、バラエティでも情報番組でも、一緒だと思いますけど。

S:あともう一つ。作品の中で出てきましたけど、事件事故を伝えることと一緒に、権力の監視と弱者への寄り添いが報道の役割として言われます。テレビに限らず新聞社の人なんかとも話してて違和感を持つのが「権力の監視と弱者」。誰も権力を監視しなくなったらまずいとは思うんですけど、それが一種の正義感を振りかざす方向になりがちなのを疑問に思います。それに関して圡方さんの個人的な思いとかありますか?

H:僕も報道の人間じゃなかったものですから、報道へ来てしかも今回のドキュメンタリーやってこの3つ(事件事故を伝える・権力の監視・弱者への寄り添い)が報道の役割と言われているのを、初めて知りました。なぜこの三つが大事だとされてるかは、もう一回考えてもいいかなと思います。お題目だけが一人歩きして、この考えが出て来た大元の部分はもしかしたら抜け落ちて、弱者に寄り添っていればいいとなったり、権力であれば何でも叩くんだとなったり、そういうことになってるかもしれない。根本の部分、その三つの項目に限らず、自分たちがどうして仕事してるのかはもう一回考えてみないと、思考停止しちゃってるところが大いにあるのかなとは思います。

S:ある方が言うには、報道はテレビ局の中で聖域になっていて独善的に見えている。収益を背負ってなく、使命感だけは強い。でも取材はワイドショー的に土足で踏み込んだり都合の良い切り取りをしていて、非常に不満だと言ってました。圡方さんは制作から報道に行かれたときに違和感はなかったですか?

H:最初はありました。例えばコストパフォーマンスとか、そういう考え方がまったくなく、費用対効果の悪い取材してるなあと思いました。でも逆に今はそれがもしかしたらテレビの生き残っていく一つの方向性かもと思っていて。つまりさっき言ったように、取材行為っていうのは自分たちのやりたいことという、大事なことに関係してくるんですよね。今報道でも聖域が外されて、数字稼いで金稼いで、嫌われないでやっていけ、という方向に舵がすごい勢いでググーッと切られています。それをやることで、結局、ニュースのバラエティー化、ワイドショー化が進んできていて、でも最後の最後でやっぱり視聴者のみなさんは賢いですから、「こいつら何がやりたいんだ」というところにいくと思うんですよね、ニュースって何なんだと。そうなったときにも芯の部分があるとすれば、それは言い方が極端かもしれませんけど費用を度外視して、自分たちが伝えたいと思うこと、ちょっと暑苦しいかもしれないけど使命感とか、そこの部分が最後届くのかなと。あなたたちが好きなものを集めましたというのは、最後は必要とされなくなる気がするんですよ。このドキュメンタリーも、みなさんがこれが好きだから作りましたというものだったら、多分もっと批判にさらされてるでしょうし、最終的に放送に結びつかなかったかなと思うんです。そうじゃなくってやっぱりこれやりたいという思いがあって、それが最終的にいちばん大事だし、それがないとバレちゃうと思うんですよね。だからそういう意味では、もっとニュースはニュースらしくあってほしい。自分はそっちの人間じゃないんで、もどかしさもあるんですけど。取材を大事にして、足で現場に行くとか。Twitterなどに頼ることが多いですけど、そういう形でなくて現場に行って視聴者の代わりに見てそれを伝えること、これ自体はなくならないと思うんですよ。今まさにわざわざ来ていただいて話聞いてもらっているわけですけど、そういう仕事はなくなることはないと思う。

S:まったくおっしゃる通りですよね。うん、見たいっていうのが大事だし

H:バレちゃいますもんね。自分がどう思ってるかはやっぱり取材相手にバレる。この人は仕事で来てるのか、金のために来てるのか。100%じゃないでしょうけどね、その中に自分の興味も入って来ているのか。視聴者に対しても、バレると思うんですよ。

S:まったく共感できます。ありがとうございます。これは赤坂さんに聞いたほうがいいのでしょうけど、『さよならテレビ』は再放送は?

宣伝担当・赤坂佳晃氏(以下、A):何も決まってません。

S:前の作品は劇場で上映も…

A:これもまだ決まっておりません。

H:微妙な時期にお越しいただきました。

A:劇場公開するかもしれませんししないかもしれません。再放送するかもしれませんししないかもしれません。まだ誰も知りません。

H:うちの会社のいいところかなと思いますけど、普通は製作委員会みたいなのがあって、最初から映画にしてだいたいこれぐらいのペイがあって、リスクこれぐらいでとか計画立てるんでしょうけど、うちはそうじゃなく、作って世の中に出して反応を見ながら、どういう形で再放送するのか、劇場で上映するのかを決めていく考え方です。僕は健全だと思うんですけど。

S:劇場公開されたら土方さんに東京に来ていただけないかなと思います。

H:もし公開された暁にはぜひ。

S:今日はどうもありがとうございました。とても面白かったです!

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「さよならテレビ」はリトマス試験紙だとインタビューの中に出てきた。見た人たちの千差万別の反応を見ると、確かにそうだと思う。ただし、決して「踏み絵」ではない。踏まなかったら罪だとか、踏んづけたら保守反動だとか、そういうものではないだろう。あなたは酸性、彼はアルカリ、あの人は中性。違う反応同士で、意見を言い合おう。どっちかが正しいのではなく、どちらの反応も有り、という前提ででもなぜ反応が違うのかを考えよう。そういう作品だと思うのだ。「さよならテレビ」を肯定できるやつは先進的でわかってるやつだ、ということではまったくない。

圡方氏が「どう見てもらってもいい」と言うのは決して、何を言われても気にしない、という意味でもないと思う。「不満をぶつけてるだけ」との意見もあると言ったら、どう受け止めればいいか、どう言えばいいか懸命に考えていることがよくわかった。だからもしあなたが彼に会ったら、例え批判的な意見であったとしても思ったことを率直にぶつけてみていいのだ。

「さよならテレビ」のWEBサイトにはメッセージを書き込めるようになっていて、視聴者の感じたことが読める。ものすごくたくさんのコメントが書き込まれているが、これを読むのもこの作品の延長線なのだと思う。一粒で何度も味わえる番組だ。その味は苦いが、甘みや旨みもあり、やみつきになってしまう。

→「さよならテレビ」メッセージを読む

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圡方宏史
東海テレビ放送 報道局報道部 記者
1976年生まれ。上智大学英文学科卒業、98年東海テレビ入社。制作部で情報番組やバラエティ番組のAD、ディレクターを経験したのち09年に報道部に異動。公共キャンペーン・スポットを手がけ、14年「震災から3年~伝えつづける~」で、第52回ギャラクシー賞CM部門大賞。15年「戦争を、考えつづける。」でACC賞グランプリ(総務大臣賞)を受賞。14年に『ホームレス理事長 退学球児再生計画』でドキュメンタリー映画を初監督。16年に映画「ヤクザと憲法」。

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