2016年10月19日付朝日新聞朝刊
NHKがやってしまった同時配信についての自爆
昨年10月のこの朝日新聞の記事が朝刊一面トップを飾って以来、劇的にメディアの話題の主役に躍り出たNHKの同時配信問題。テレビ局を外から見ている私の目には、奇妙な空気を帯びた議論だ。
なぜかしら、誰もが感情的になっているように見える。とくに新聞社が躍起になってこの話題を追っていた。この朝日の記事もいまもって疑問満載で、誰にどんな意図があって書かれたものかよくわからない。同時配信を後押ししているようにも妨げているようにも思える記事だ。
民放テレビ局側からもピリピリした空気が伝わっていた。スキあらば投げ飛ばそうと構えたまま様子を窺っていたようなものだ。一方で、少なからぬ興味も持っていて、何かきっかけがあれば相乗りするのでは?と思える言動もかいま見えた。だが基本姿勢は「スキあらば」であり続けた。
7月4日、NHKがスキを見せてしまった。スキというより、どうぞ投げ飛ばしてくださいとばかりに、わざわざ襟首を差し出したようなものだ。
その日開催された総務省の「放送を巡る諸課題に関する検討会」の場で、ある意味最終弁論にあたるNHKのプレゼンテーションが行われた。その際、NHKは同時配信を本来業務として行いたいとの意思表示をしてしまった、ように受け取れる発言をした。
この「本来業務」とは「補完業務」ではない、という意味だ。これまでNHKはインターネット配信などは放送の付加的なサービスと位置づけていた。この補完業務には受信料収入の2.5%までしか費用として使えないと定められているそうだ。位置づけとしても、NHKにとって放送が本来の業務でネットはそれを補完する業務というのは感覚的にわかりやすい。ところが同時配信も本来業務とすると、話がややこしくなってしまう。
民放テレビ局側は当然、反論の一斉砲火を放つことになる。今週もこんな記事が出た。
日テレ社長、NHKに「待った」 ネット同時配信めぐり(朝日新聞:2017年7月24日)
補完業務の縛りがなくなると、ネットで際限なく膨張して民業圧迫になる、けしからん!というお叱りだ。こんな風に民放がNHKをはっきり批判することはなかなかなかった。確かに、けしからんだろう。
ただ、この批判はよく考えると矛盾したことを言っていることに気づく。ここで焦点が当たっているのは「同時配信」だ。テレビ放送と同じ番組をネットで同時に配信するもの。そこには配信コスト以外にお金のかけようがない。オリジナルの番組製作をはじめて、その製作費に際限なく予算を注ぐNetflixのようなサービスをはじめるなら確かに「民業圧迫」になるかもしれないが、そうではないのだ。際限ない予算を、かけようがないのが同時配信なのだから。
民放の人はNHKに対してよく「民業圧迫」という言葉を使う。一般人からすると「それが何か?」とただの感情論にしか見えないのだが、それはここでは余談だろう。
批判の内容は置いといて、ここで大事なのは民放側を怒らせた、あるいは怒ったぞと意思表示する理由を与えてしまったことだ。「本来業務」はNHKにとって自爆発言だった。
どれだけ自爆的な言葉かは、7月4日の「諸課題検討会」の最後に高市総務大臣が指摘したことに尽きる。(ここから先は登録読者のみ)
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