前回に続き、このところ参加したセミナーで見聞きした話をもとにした記事をお届けする。
1月29日、JAA(日本アドバタイザーズ協会)主催のセミナーでの植村祐嗣氏の講演が、気づきの多い内容だった。植村氏は電通で長らくテレビメディアの仕事に従事してきて、いまはJIAA(日本インタラクティブ広告協会)で常務理事の任にある。理論家で、新しい状況を定義したり整理することに長けた方だ。
その講演は、いまネット広告界で出てきているアドフラウドをはじめとする問題点を解説するものだったのだが、その前説として広告枠の新旧について説明してくれ、大いに啓発された。
広告枠にはもともと販促を目的にしたものがあり、ブラックなものもあった
例えばメディア別の広告費では断然インターネット広告が伸びているわけだが、新聞雑誌広告が下がっているからと言って必ずしも「新聞雑誌広告→ネット広告」ではない、という指摘だ。そういう部分も少なからずあるにしても、インターネット広告が奪ってきたのは販促にあたる費用だったのではないか、というのだ。実際金額的にも、ネット広告が急上昇したのに呼応してぐんと下がったのは「プロモーションメディア広告費」だった。折込広告やDM、フリーペーパーといった領域だ。
またネット以前も「あやしい広告領域」は存在していた。家のポストによくわからない事業者のDMやチラシが入っていることはいまでもあるし、町で配られるティッシュは、まっとうな企業からあやしい会社のものまで千差万別だ。雑誌広告でさえ、立派な企業の広告ページが載る同じ媒体で、うしろのほうにいかにもあやしい会社のあやしい商品の広告が載っていたものだ。そういう「棲み分け」がこれまではあった。
広告とはもともと、そういうブラックなもの、グレーな領域を含んだものだったのだ。そして各メディアはそれぞれなりの審査規定などを持つことで、まっとうな広告とあやしいものを線引きしていた。読者のほうも、この雑誌のうしろのほうの広告はそういうページだよねとわかって見ていたと思う。
一昨年からフェイクニュースの問題が浮上し、広告もあやしいメディアやコンテンツに掲載するのは避けよう、という動きが出てきた。これまでは効率重視で、WEB媒体はデータもはっきり分かるし効率もいいと良い面ばかり見られてきたが、そこにはリスクがあると認識されるようになってきた。その背景にあるのは、上の図(植村氏の講演をもとに筆者で作成)のように、本来は区別して遣われていたこれまでの広告枠が、ネットでは境目が曖昧になり、大企業でもヘタをするとあやしいメディアに広告を出稿してしまうことが問題視されるようになったことだ。
立派な企業もブラックな企業も例えばYouTubeなら若者に届くと使ってきたが、よくよく見るとヘイトスピーチ動画にわが社のCMが載っているのはけしからん、ということになってきたわけだ。
そしてまた、ちゃんと見ていくとネット広告はあやしい枠だらけで、ちゃんとした広告枠はまだ少ないのだ。そこには、テレビ局がネットに進出する意義もある。 また、よく「広告は嫌われている」と言われるが、細かく見れば嫌われている多くは上の販促領域の広告と、ブラックな領域であることがわかる。両方とも「運用型」だ。つまりは、アルゴリズムを駆使して自動的に広告が掲載されるそういう広告枠が嫌われているだけかもしれない。そこにも、テレビ局がネットで何をやるべきかのヒントもあるのではないか。
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