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2016年08月号

東宝はなぜ2016年にゴジラを復活させたのか〜東宝映画調整部長・市川南氏インタビュー(1)〜

2016年08月16日 11:05 by sakaiosamu

 

前回の記事では映画『シン・ゴジラ』をとりあげ、ゴジラを東宝がこんなに新しい形で復活させたこと、それを製作委員会を作らず単独出資でヒットさせたことの映画界での意義を解説した。

さて『シン・ゴジラ』を映画館で観た時、製作クレジットに注目したところ、「製作 市川南」と出てきたのを確認し、なるほどと勝手に得心した。 市川氏がゴジラ復活を遂行し、庵野秀明氏に依頼したのではないかと想像したのだ。

私はコピーライターとして一時期、映画の仕事にかなり携わっていた。その頃、東宝の宣伝部として仕事の窓口になっていたのが市川氏だった。90年代後半の話だ。東宝は映画会社の最大手だが、主にテレビ局が主体となって製作する映画の宣伝プロデューサーだった。製作委員会のそれぞれから出るややこしい意見をなんとかとりまとめ、ひとつの戦略のもと宣伝を推進していく、頭も使うし気も遣うデリケートな仕事だった。我々が作ったコピーやビジュアルの意図をくみとってくれ、ともに苦労したことをよく憶えている。

その市川氏が東宝のゴジラ復活の責任者なら、久しぶりにお会いしてお話しをぜひ聞いてみたい。そう考えた私はすぐに連絡をとって時間をもらえるようお願いした。

きちんと顔を合わせるのはおそらく十数年ぶり。彫りの深い顔立ちは昔と変わらず、ずいぶんと上の立場になられているのに以前と同じ感覚でお話ししてくれた。ほんの一時間ほどだが、やはり、と納得する部分と、え?!とあらためて驚く部分が満載で、大変面白いインタビューになったと思う。できるだけそのまま掲載したいので、二回に分けて記事にしよう。

---初めてお会いした時は宣伝部にいらっしゃいましたが、89年に入社されてからずっと宣伝部だったんですか?

そうです。『梟の城』なんかコピー書いていただきましたよね。宣伝部時代にいちばんあたったのは『千と千尋の神隠し』でした。その後2001年に映画調整部に異動して、『世界の中心で、愛をさけぶ』などを企画しました。2006年に映画調整部長になり、2011年に取締役を任じられました。2012年からは東宝映画の社長を兼務していますが、あくまで本拠地は映画調整担当なんです。

---調整部と、制作を行う東宝映画を兼務しておられるのは面白いと思います。テレビ局で言うと、編成と制作と両方やってるようなもので、立場が食い違ったりしそうですね。

いままでは、現社長の島谷(能成氏)が調整部にいつつ、東宝映画は冨山(省吾氏)というゴジラなどのプロデューサーが社長を長らく務めていました。一方で、『太陽にほえろ』の時代に”テレビ部”だった部署が”映像制作部”になって、2010年に映画企画部になりました。その時に東宝映画の企画部は廃止にして本社の映画企画部に移って、制作スタッフだけになったのです。

---それは、映画の企画に力を入れる宣言でもあったのでしょうか。

1971年に映画が不況になって、それまでは撮影所の人たちも全部東宝の社員だったのを切り離したわけです。本社は営業部門だけになり、制作会社を独立させ東宝映画ができて田中友幸さんが社長に就任し、『日本沈没』やったり『ゴジラ』とか作っていた。その時代は50人くらいいました。それを再編して、40年ぶりくらいに企画から本社でやる体制になったわけです。

---最近気になっていたのですが『進撃の巨人』も『アイアムアヒーロー』も東宝映画制作ですよね。

本数も増えました。私が調整部に行った2001年は東宝映画制作は年に2本くらいかな。セカチューの2004年の頃に3~4本と増やして、2015年は7本。それが今年は、アニメも合わせると11本なんです。来年もそれくらいになりそうで。出版社とのつながりも深いし、『進撃の巨人』も他社と競合の上でとったりできるようになりました。映画不況を経て、40年経ってまた自分たちで、年10本くらいは作れるようになったのがいまですね。

---そうすると、ゴジラは本社で企画して主体的に東宝が自社企画を強化していこうという流れの中の、大きなマイルストーンということでしょうか。

戦略的にそうなったと言うよりも・・・実は私はゴジラのプロデューサーをやるのはイヤだったんですよ(爆笑

 ---実はうっすら憶えてるんですけど、ミレニアムゴジラの時に別の映画の宣伝打合せでその話が出た時、市川さんがあんまり前向きじゃない雰囲気だった気がするんですよ。

よく憶えてますねー!(爆笑

『ゴジラ FINAL WARS』が2004年で、直接の担当ではなく少しお手伝いしてましたけど、思うように興行があがらずそれを機にお休みしてしまいました。ハリウッド版が出たのがおととしですから、2014年、10年ぶりに世に出してもらって。そのレジェンダリー版が発表になった頃から社内では「もう一回やったらどうだ」という話もでてきて、聞かないようにしてたんですけど(笑

でもよく考えると、レジェンダリー版が世界中で大宣伝してくれた後なら、十年休んでてもスタートラインが楽になるかなと思いました。ハリウッド版に日本版がコバンザメのようにくっついて二年後に公開になるなら、日本の若者もゴジラを認識してくれてやりやすいかなあと、レジェンダリー版の二年後にやろうとなったんです。

---『ゴジラ FINAL WARS』をやって、もう日本のゴジラはおしまいなのかと思ってました。

決めたわけでもなかったですが、やる気運が起こりませんでしたね・・・2010年に企画部が本社にできてその気運ができはじめたのと、もう世代交替も進んで先人たちの”型”を守ることもできなくなった分、まったく新しいゴジラに挑戦できそうな空気も出てきました。

田中友幸さんが最初のゴジラをつくって、95年の『ゴジラvsデストロイア』までずっと関わってらしたんです。そのあとを、冨山省吾さんが継いでいきました。

---なるほど、59年のゴジラ第一作から平成ゴジラ、ミレニアムゴジラまでずっとつながっていたんですね!実際、ぼくらが子どもの頃見たゴジラから2000年代までのゴジラは、大きくは変わっていませんね、着ぐるみだしミニチュアだし。

最初のゴジラ以外は全部ゴジラが一度来た設定なんですよね。84年のゴジラは今度のとすごく似てるんですよ。小林桂樹さんが総理大臣で、アメリカ軍との関係とか、比べるとすごい似てるんです。だけど最大の違いは、ゴジラが過去に来た世界なんです。

で、庵野さんと樋口さんとは「いまの日本にゴジラがはじめてきたらどうなるか」をやろうと。311を経験した日本に、ゴジラが来たら面白いですよねえと。それが最初に決めたことなんです。

---ここでいちばん知りたいのは、東宝がゴジラを庵野秀明に託すことにした経緯なのですが・・・

2013年にジブリの鈴木(敏夫)さんが庵野さんと食事会をしてくれたことがありました。鈴木さんが帰られたあと、庵野さんを送りながら「ゴジラって興味あります?」って言ってみたら「まあ、興味ないでもないですねえ」と言ってくれたんですね。これは脈ありだなと思ってしばらくして二人で会って、話がはじまっていったんですよ。

---持ちかけたってことは「庵野さんにやってもらえたら」と言うより、積極的にやってほしい!と声をかけたんですね!

プロデューサーがプロット作って脚本作って監督を誰か選んで、特技監督選んで、っていうと、いままでの延長線になるなあと思ったんです。誰かクリエイターに頼んだほうが早いかなあと(笑

---それにしても庵野さんというのは、リスクと言うか、奇抜なゴジラになりはしないかとの懸念はなかったですか?

シネバザール(制作会社)のプロデューサーに間に入ってもらったんですが、その時はもう樋口さんと尾上さんがいてくれたんで三人監督で、みたいなことになってました。庵野さんが原案だけで樋口さんが監督、ということでもいいかなとか、保険をかけたわけですね。(笑

庵野さんがどこまでやってくれるのか、プロットだけなのか。そしたら脚本も書くっていうし、現場も総監督だっていうし。

---結果、庵野さんはのってくれたわけですね

いちばんのったパターンですね。

ひょっとしたら「脚本・プロデュース」とかで線を引くかなあとも想像してたんですが、フタを開けると基本的に毎日現場にいるし、まさに"総監督”って感じでしたね。脚本作りも「大人向けにしよう」と、女性とか子どもとか意識しない、と言われて、こちらも腹をくくりました。(注:女性を意識するあまり恋愛の要素を加えたり、子どもを意識しすぎてわかりやすくしない、という意味で次の部分に繋がっている)

一作目に極めて近いのをやりたい、主人公は政治家にしますと。我々としては恋人がいたほうがいい、長谷川博己さんと石原さとみさんは元恋人にしましょうとか言ったんですけど、庵野さんはそういうのどんどん排除していって、人物たちのバックボーンは描かない脚本になりました。ハリウッド映画だと絶対そういうサイドストーリーとかあるわけですけどね。きわめてストイックな政治家中心の話になりました。

脚本の細部にも徹底的にこだわって、政治家にも官僚にも取材し、小池百合子さんにも取材してましたね。首相官邸や危機管理センターにも行って取材するんですけど写真は撮れないそうで、スタッフが持っていた鞄で距離を測ってセットに再現しました。

---政治家と官僚のやりとりもすごいリアリティありますよね。

普通で言えば3時間分の脚本になって、いよいよ本当に監督をお願いする時に、あらためてぜひやってください、でも2時間はおさめてくださいと言ったら、わかりました、撮れますよ、なぜなら早口で言わせるから、と答えました。たぶん、1.5倍くらいの速度でしゃべっていて、だから入ったんでしょうね。

撮影でもこだわって、画面をミリ単位で指定するし、カメラ複数で撮るし、ものすごい早口を俳優に要求するし、アニメを作る感覚と同じだったんですよ、100%自分でコントロールするような作り方で。CGの仕上げも半年間大勢で作業して、庵野さんのOKいつ出るかってみんなでやきもきしてましたね。

(以下、次回に続く)

 


 


 

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