テレビとネットの横断業界誌 Media Border

2018年04月号

乱暴な放送法改革に対する、乱暴な反論。その結果テレビ局は何を失ったか。

2018年04月05日 15:52 by sakaiosamu

マスメディアの矛盾だらけの反論

3月29日の記事「放送法を巡る諸課題に関する不思議な議論」で放送法改革について取り上げた。この議論で非常に面白いのは、政府から放送法改革の中身は公式に示されていないのに、マスメディア側で勝手に受けとめて次々に反論を展開していることだ。例えば東京新聞は4月2日付けでこんな社説を掲げている。

→「放送法改正論 テレビへの政治介入だ」

クリックすると当該記事が読める。短い記事なのでざっと読んで欲しい。なんというか、実に面白い。失礼ながら笑ってしまった。

意地悪く要約すると、「政治介入の口実となっていた放送法4条の撤廃は、政治介入をもたらす」と言っている。普通に日本語の文章として矛盾でいっぱいだ。この「社説」は、筋道立てて物事を論じていると言えるだろうか。

そもそも放送について法律で政治的公平性を規定するのは日本くらいだそうだ。政府としてはこの法律を通じてテレビ局を規制するところを、逆に外そうと言い出している。ウルトラCを切り出したのだ。それに対し、オロオロするから矛盾したことを言い出すことになる。「ならば放送の自由を自ら守るために、政治的公平性を守る業界規定を制定しよう!これを守るテレビ局こそ、国民の信任に応えられるのだ」と、ウルトラCに対し3回転捻りくらいの裏技をこちらも切り出せばいい。そもそも放送の自由を法律に守ってもらう姿勢こそが問題だったのではないか。だから利用されかねないのだ。もともと言論の自由と公権力は対立するもので、自由とは本来自ら勝ち取るものだ。お上の法律がないとお上を批判できません、だなんて甘えもいいところだ。

いま書いている記事は、戸惑っているテレビ局の人びとの声が聞こえてきたので、冷静になって欲しくて書いている。なので、登録抜きで全文読めるように設定した。ぜひみなさんでシェアして大勢の方に読んで欲しい。

4条が無くなっても片寄った番組だらけにはならない

放送法4条が無くなると片寄った番組だらけになる、という反論もある。もちろん自由な言論環境とは片寄った番組が出てくる可能性を許すことだ。だが「だらけ」には決してならないし、むしろそんな番組は到底続かない。

民間放送はインターネット空間とはやっぱり違うのだ。ネットでは個人がブログを簡単に立ち上げられるし趣味の範囲で続けることもできる。放送はかなりの規模の事業だ。週に1時間ならともかく、毎日タイムスケジュールを埋めて放送をするのはものすごく大変だ。電波を使わない通信なら少し安くすむだろうがそれでもAbemaTVは年間200億円の赤字を出している。

そんなことまで覚悟して局を立ち上げたとして、片寄った番組だらけの放送に誰が広告出稿をするだろう。ネット広告の世界ではいま広告を載せるメディアの信頼性が強く問われている。広告主は変なサイトに広告が出るのを忌み嫌う。ブランドセイフティを気にするからだ。問題ある映像にはYouTubeはアクセス制限をかけるようになり、それが原因でYouTubeのオフィスへの銃撃事件が起きたばかりだ。

YouTubeで変な映像には広告を出すなという企業は、放送でも片寄った番組には広告出稿をするはずがない。4条をなくしたらネットと同じになる!と安易に言う人は、こうしたことを具体的に考えていない。無責任な反論だと言わざるをえない。いまネットも含めたメディア全体で、何が起こっているかを把握していないからそんなことを簡単に言うのだ。

彼らはすぐFOXニュースを例に出しトランプ政権成立の一因になったと言う。ずるいと思うのは一様にこの話をすることだ。ABCやCBS、NBCは87年以降どうだったか?アメリカで生活したメディア研究者の友人によれば、彼らはがんばって公平性を保ったそうだ。FOXの話だけを持ち出して「アメリカは片寄った放送だらけになった」との印象づけをしようとするのは誤った言い方だ。

識者と言われる人びとが、けっこう平気で「片寄った番組だらけになる」とコメントしたりしている。そんな人たちの、現実をよくわかってない言動に慌てる必要はまったくないのだ。

まったく現実的ではない放送法改革案

今回聞こえてきた改革案でいちばん謎なのが「NHK以外の民放は不要になる」という部分だ。これが具体的に何を意味するのかわからなかった。一体何をどうしたら不要になるのか。不要になるとは具体的にどういう状況を示しているのか。

どうやら、通信経由で民放を視聴できるようにすればその部分の電波が不要になるので他のことに利用できる、ということのようだ。そうしか考えられない。

そう思い至った時、なんて乱暴な改革案だろうと思った。それに、そんなこと実現できるのはどうがんばっても早くて10年後だろう。通信を通して民放がいまやっていることを視聴できる状態にするには、まだまだ長い時間が必要だ。と言うより、事実上無理ではないか。

考えてみて欲しい。具体的にどうすれば放送を通信で日常的に視聴できるようになるか。インターネット回線が通じている家庭でテレビをネットに接続し、FireTVなどで該当アプリをダウンロードする。あとは毎日スイッチとともにFireTVも別のリモコンで起動し、該当アプリを立ち上げる。

そうだ、すでに私はインターネット回線を引いたしFireTVをテレビにHDMIでつないでおり、AbemaTVもダウンロードしてあって起動させれば視聴できる。

だったら国民のほとんどが同じことをすればいいし、毎日できるようになればいい。国民のほとんどがそうなれば、だ。

だが2011年に地デジ化し、テレビをネットにつなげばさらにいろいろ便利になることになったのに、テレビのネット接続率はようやく30%程度だ。残り70%が一体いつ接続するだろうか。そしてそのうちどれくらいが何年後にFireTVやスマートテレビを買うだろうか。そして極め付けは、そもそも全世帯がネットに接続する日は来るのだろうか。・・・想像してみて欲しい。あなたの故郷の県の農村に住むあなたの親戚を。あの70才のおばちゃんが10年後80才になるまでに「テレビをインターネットに接続」するだろうか。・・・そうだ、まちがいなくしてない。スマホは持ったが相変わらずドコモで接続している。WiFi?なんね、それ。

いやいやいや、スマホ持ってるんだからスマホで視聴してもらえばいいでしょう。そんなこと、おばちゃんに言ったら烈火のごとく怒るだろう。「毎日昼ごはん食べながら「徹子の部屋」見るのを楽しみにしとるとに何言いよるんね、こんなちっちゃな画面じゃなんも見えんやないね!」黒柳徹子さんは100才になってもお元気だ、という前提だ。

通信は放送を簡単には代替できない

私は「放送と通信の融合」を取材してきたし、それを促進すべきだと考えている。だが"融合"と"代替"はまたちがう話だ。そして通信で放送を置き換えることは長い長い時間がかかりそうだ。それは間違いない。それほど放送は人びとの生活になじんでいる。密着している。若い世代はもう放送は要らないと言う人が多い。だがお年寄りにはまだまだ民放が必要なのだ。インターネットだスマートテレビだWiFiだIPアドレスだ。そんなめんどうを例えば自分の母親におわせようとは私は思わない。スマホを去年買った母はそれで何をするか。いまだに電話だけだ。

仮に強引に放送法改革案を通して、さあ国民のみなさん一斉に通信で民放を見てください、なんてことを政府が言ったら消費税値上げより激しい反応が起こるだろう。しかも無料だったのにインターネット通信料がかかる。なんてことしてくれるんだと政権がひっくり返りかねない。

放送と同じものを通信で視聴させる。仕組みは単純だ。だが普及させるのは並大抵のことではない。この改革案を考えた人たちは、そういう具体的な想像をしたのだろうか。いまできることとおなじことを、負担も手間もなしにできるようにならないと、通信で放送を置き換えることはできないのだ。

またAbemaTVのような通信経由のテレビ局が次々に新規参入したとして、若い世代はネットでの視聴のハードルも低いとは言え、いまの民放の水準まで視聴率を高めるのは簡単ではない。というか、はっきり言って無理だと思う。いま危機に見舞われているのは「放送」という時間に縛られた伝達形式だ。民放がじわじわ視聴率を下げているのに、それより低いコストで番組を作っても民放より視聴されるはずがない。もしそうなら、MXTVはとっくにウハウハの放送局になっているはずだ。放送が行き詰まっているのに通信経由で放送みたいなことをやっても、行き詰まる前に成長なんかできないのだ。通信経由でテレビに対抗するなら映像を「時間に縛られずに伝達する」しかない。だからNetflixなどが出てきている。

放送は行き詰まっている。先行者利益があるから既存のテレビ局は売上が確保できている。でもみなさんいま不安だろう。不安な業界に通信を使って参入するなんてサイバーエージェント以外に出てくるはずがないのだ。

「放送が不要になる?!」とオロオロする必要はないと思う。

乱暴な反論は、いたずらに不信感をもたらした

だから心配しなくてもいい。乱暴な放送法改革案は自壊するのが目に見えている。法案が出てくるのを落ち着いて構えていれば良かったのだ。だがこの二週間ほどで新聞も含めて大手メディアは大反論を示し合わせたかのように展開した。私は改革案より、メディア各社が示した反論のほうがずっと悪影響だと思う。各社とも先述の東京新聞のように矛盾したことを主張した。その矛盾をついたブログがさっそくシェアされている。さらにまずいのが、キー局トップがこぞって「民放が不要とは!」と言っている。

試しにTwitterで「民放 不要」で検索するといい。罵倒され、せせら笑われている。4条のことを持ち出しても「利権を守りたい」と言っているのが見透かされているのだ。危険な兆候だと思う。みんなで反感を買うようなことばかりしているのだ。

フジテレビが視聴率低下から抜け出せない原因のひとつに、ネット世論への対応のまずさがある。これはいま多くの人が感じていることだ。例えば月9の次の企画が発表されると、詳しく知る前から「ここがだめ」「あそこがだめ」と悪口のオンパレードになる。さすがに今回の「コンフィデンスマンJP」はそれが少ないようだが。

フジテレビはみんなで悪口を言い合って楽しむ対象になってしまった。これは2011年のフジテレビ前のデモに対して何もしなかったことに端緒がある。その後も、頑張って主張してこなかったことで、いまや「期待されない局」のレッテルが貼られてしまって取れないのだ。

今回の反論は、オロオロしてるのが透けて見える。必死に言ってる。その内容は「おれたちはこんなことやってきたのに」だ。自省的な姿勢はまったく見えない。「これを機に我々も本当に求められている社会的役割を議論したい」それくらい言うべきなのだ。「不要とは何事だ」は言ってはならなかった。そういう、クライシスコントロールみたいなことがテレビ局にはできていない。規制緩和を謳いながら、自分たちを守る規制になると必死に反論するおっさん。そんな見え方になっている。この一件でいま、反感がふくらんでいる。

法案を潰そうとする抵抗勢力

噂では、政府は法案の内容をトーンダウンさせる様子らしい。私はこれもまた良くない展開だなと思う。まだ公式に表に出てもいない改革案を、出る前に猛攻撃して潰した、ことになりかねない。一体そこにどんな民主主義があるのだろう。実は改革案は議論すべき点が多々含まれている。きちんと議論の場に持っていくことさえさせず、出る前に潰すなんて、いわゆる抵抗勢力ではないか。マスメディアがタッグを組んで自分たちに不利な法案を潰してしまった。圧力団体と言われても仕方ない。

反論が早すぎたのだ。そして強すぎたのだ。その裏に新聞界のドンの顔まで一部の報道に出てきてしまった。政府より権力の強い権力者の顔がうっすら見えてしまっている。いったいそれでよかったのだろうか?

 

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