テレビとネットの横断業界誌 Media Border

2022年03月号

同時配信は新しいテレビのゴールではなく、はじめの一歩にすぎない

2022年04月12日 14:10 by sakaiosamu

「開明派」の念願がようやく成就

昨日、4月11日夜からテレビ放送の同時配信がTVerで民放キー局が揃ってスタートした。ご存知の通り、日本テレビは昨年秋から先行していたのだが、やはり5局が勢揃いした状態には強いパワーを感じた。
特に画面をスワイプすると次々に他局に移ってザッピングできるのは非常に感動した。テレビ放送とはザッピングなのだなとあらためて認識した気がする。もっとも、スマホを横位置にした時にザッピングするにはワンタップする必要があるのはちょっともどかしく残念にも思った。
残念と言えば同時配信スタート直前にTVerのリニューアルがあり、これまであった機能がいくつかなくなっていたのもそうだ。特にiPadで基本画面が縦になってしまったのは困った。きっと同時配信への対応と新たにIDを使えるようにする作業が相当大変で、それどころではなかったのだろう。だがこういうところにレガシーメディアのデジタル対応への不慣れさが滲み出ているようにも思う。
それはともかく、多くの放送業界の人々がこの4月11日を感慨深く迎えただろう。特に早くから「開明派」だった人々、局内でネット活用の必要性を訴え、おそらく当初は社内で理解者が少なく疎まれ、次第に同調者が増えてきたような人にとっては、苦難を乗り越えてここまで来たことに、胸を震わせているかもしれない。
そんな人たちと交流し、時に応援もしてきた筆者としても感慨に浸りたくなる。冒頭の図は筆者が2015年に当時のDpa(業界団体・現在のAPABの前身)の依頼で講演した際に作成した図だ。スマホでも配信され、テレビ受像機では放送と配信が併立する。今後のテレビはそうなる、配信もテレビなのだと主張する際に使った。早くしないとそれぞれでの面積が確保できない。そう言ってテレビのネット配信を促した。
かれこれ7年以上、こうした主張をしてきて、その核が同時配信のはずだった。それがやっと形になったのだ。と思うと、感慨深い気持ちと、その歩みの遅さへの嘆きとが交錯する。

まだ完成形ではない、同時配信

だが「同時配信」はまだ完成していない。時間は夜に限られているし、ローカル局は蚊帳の外。「テレビはいつでもどこでもスマホで見られる」状態からは程遠いのだ。そして同時配信はそれ自体ではさほど稼げない。そんなにたくさんの視聴が獲得できないからだ。だが絶対にやるべきだった。
「いつでもどこでも、テレビ受像機と同じ内容がスマホでもリアルタイムに配信されている」という状態になってはじめて、「テレビはスマホで見られるね」になる。これを目指さないとダメなのだ。
今だって昨日放送された「元彼の遺言状・第一話」をスマホで視聴できる。それに限らずほとんどのドラマは、放送1週間後までスマホで見ることができる。だがそれを楽しむ若者に「日本のテレビはスマホで見れますか?」と聞いたら即座に「見れないよ」と答えるだろう。あくまでドラマが好きな時に見れるのであって、それをもって「テレビがネットで見れる」とは捉えていないだろう。どの番組でもどの局でもいつでもスマホで見られる。この状態に至ってようやく「テレビはネットで見れる」ことになる。そうなれば広告メディアとしてかなりの強さを獲得できるだろう。
その状態に至るまでは、例えば同時配信をしても大して見られないだろう。「えーっと、今テレビはスマホで見れる時間だっけ?」そう考えさせる時点でダメなのだ。
「テレビはネットで見られるよ」若者たちがそう答えてくれるには、夜に限らず朝でも深夜でもリアルタイムで見られる必要がある。ローカル局のエリアの若者にとっては天気予報で関東の明日が晴れとか雨とか言ってたらダメだ。「東京のテレビがなぜか見れるよ」ではダメなのだ。
いちばんわかりやすいのは、実は夕方だ。日本中ほとんどの局が夕方に放送している情報番組。あれが全国津々浦々で地元の放送局ごとに気軽にネットで見られること。それが実現すれば、会社や学校からの帰宅途中に大勢が見るだろう。夜の番組はほとんど家のテレビで見るから実は同時配信の「ニーズ」は薄い。帰宅途中に電車で、その日の地域の出来事や新しくできたラーメン屋の食レポを見る。同時配信のニーズはそこにある。
だから朝から晩まで、地元の放送を見るのと同じ感覚でテレビがスマホで見られる状態が完成形だ。それができれば、手持ち無沙汰な時に気軽に見るメディアになる。同時配信が24時間、放送と同じ形で実現できてようやくテレビはスマホでも「メディア」になるのだ。
TVerで同時配信を行うのは正しい。それは実は、同時配信がメディアとしてのテレビの入り口だからだ。同時配信をやってなかったTVerはメディアではなかった。「動画配信サービス」の一つだったのだ。だが同時配信によってTVerはメディアになり、気軽に見る存在になる。「見逃し配信」の真の出番はここからだ。「今やってる番組」を電車の待ち時間にチェックしたら当座は見たいものはなかった。でもそういえば昨日の月9を見損ねていたからちらっと見ようか。TVerはそんなサービスになるのだ。それでようやく見逃しアーカイブが生きる。昨日見逃したから見なきゃ、という明確な目的を持つ人のサービスから、そう言えば見てなかった番組をなんとなく見る人のサービスにシフトする。後者の方が人数が多く、視聴時間は大きく伸びるはずだ。見逃しサービスの呼び水が同時配信なのだ。
だがそうなるためには時間がかかる。昨日は「TVerでリアルタイム配信が始まったんだって」と見る人がそこそこいたかもしれない。だが来週になれば忘れられる。だからテレビ局はことあるごとに「TVerではリアルタイムでも見れます」と言い続けなければならない。それが「そんなの常識じゃん」と言われるまでにならねばならない。
時間がかかることを理解せず「同時配信にはこんなに費用がかかるのにまだ取り戻せんのか!」そんなこと言ってたらダメだ。でも今のテレビ局の経営者は言い出しかねない。厳密に言うと間違いなく言い出すトップがいる局がある。そこを乗り越えないと、テレビに未来はやってこないだろう。

同時配信を完成させるのはローカル局

筆者が「メディアのグランドデザインをつくろう」と呼びかける理由がそこにある。例えば同時配信に取り組むべきかどうかを、そこだけ取り出して儲かるかどうかを議論しても儲からないからやめとけ、という結論しか出ないだろう。それでも同時配信を実現すべきなのは、ネットでも見れるテレビの入口になるからだ。
だからローカル局が同時配信をやらないとテレビの未来は描けない。少し前まではローカル局の上層部の人々に同時配信について意見を聞くとたちまち顔を曇らせたものだが、先日レポートした通り少なくともミヤギテレビではみんなで実現のために知恵を出し合い、それを局長の肩書きの方が楽しげにレポートしてくれた。

ローカル局が同時配信やってみた!〜ミヤギテレビ、夕方ワイド「311特集」での試み〜

だが話に出た通り、毎日やるにはハードルが高い。まず著作権のルールをもう一歩踏み込んで帰る必要がある。さらに社会認識を変えてもらう必要もあることがミヤギテレビの事例からわかった。取材を受ける人々が「テレビで放送され、ネットでも配信されます」と説明した時に瞬時にそのことを理解してくれ、「ですよね、わかってますよ」と言ってくれる状況を作らねばならない。
大変そうにも思うが、いずれ間違いなくそうなる。そうなる前提で物事を進めていく時代に入った。そう考えると、同時配信はキー局でスタートしたが完成させるのはローカル局だとわかってくる。
総務省の「デジタル時代における放送制度の在り方に関する検討会」では認定放送持株会社つまりキー局のホールディングスがいくつ傘下にできるかや、傘下の局を複数まとめられるかなどが議論されている。議論にタブーの境界線を引かないいい議論だと思うが、いかにもローカル局がお荷物にも見えなくもない。
だが本当の主体性はローカル局にあるのだと筆者は考える。あるいは、主体的に考える局とキー局に身を委ねる局の差が大きくなるのだとも思う。エリアの市民のためには主体的に考えて欲しいし、そのためにもグランドデザインが求められているのではないだろうか。テレビは議論すべき時を迎えている。

4月20日にメディアのグランドデザインを議論する場としてウェビナーを企画している。興味あればご参加を。(MediaBorder購読者には割引があります)

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