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2022年10月号

映画「裸のムラ」は3つの題材をどう組み立てたか、監督本人に聞いてみた

2022年10月18日 09:06 by sakaiosamu
2022年10月18日 09:06 by sakaiosamu

関係があるようなないような3つの題材

映画「裸のムラ」は「はりぼて」の共同監督の一人だった五百旗頭幸男氏が監督したドキュメンタリー映画だ。「はりぼて」は富山市議会議員たちの不正を暴く作品だった。だがその続きとして「裸のムラ」を見るとピンと来ないかもしれない。石川県政が描かれるものの、中心に描かれる当時の谷本知事の「不正を暴く」映画ではないからだ。

だが私の視点では、2つの映画は繋がっている。テレビ局が作るドキュメンタリーの定型に挑んでいる点は共通なのだ。そして「裸のムラ」も告発はしている。石川県政という小さな対象ではなく、石川県という社会、あるいはこの国全体、そして私たち自身を告発しているのだ。私たちも五百旗頭氏自身も、そのムラビトであることから簡単には逃れられない。

谷本元知事を糾弾する映画ではないことに注意してほしい (c)石川テレビ放送

この映画の主人公は、互いに関係があるようなないような3人。その関わりが明示されないので、わかりにくいと感じる人も多いだろう。失礼を言うようだがわかりにくいのは、「はりぼて」の反権力の部分に引きずられているせいだろうし、一つの題材を追い何かを主張するのがドキュメンタリーとの固定観念を持っているからではないか。そもそも映画を見て何もかもを「わかる」必要もないのだ。

その辺りの、「裸のムラ」の基本的な理解の一助にとYahoo!に書いた記事があるので、まずは読んでもらいたい。

「裸のムラ」はテレビ発ドキュメンタリーのヌーベルバーグだ(境治) -

「裸のムラ」は既存のドキュメンタリーに懸命に抗っている。だからこそ不完全であり、不完全であるべきだというのが私のこの映画の捉え方だ。「考えるな、感じろ」というブルース・リーの言葉が「裸のムラ」の正しい見方なのだ。

なぜ3つの題材を同時に描いたのか

映画公開直前に、五百旗頭氏にインタビューすることができた。私は試写で一足先に見ていたし、昨年放送されたテレビ版も見ていた。映画「裸のムラ」はそのテレビ版と、今年放送された「日本国男村」を合わせた内容だと聞いた。五百旗頭氏にそのあたりからまず質問した。
(以下、太字が筆者の質問部分)

「日本国男村」は見てないのですが、今年の民放連賞のグランプリ候補に残っていますね。こっちの方も知事とムスリム、バンライファーの3つの題材を描いたんですか?

五百旗頭氏はZoomによるインタビューに答えてくれた

いや、知事とムスリムだけです。バンライファーをそぎ落とした。正直に白状すればちょっとテレビに迎合しました。(笑 
実は「裸のムラ」同様3つの題材で進めてたんですが、試写をした時に、どうしても去年放送したテレビ版「裸のムラ」があるので既視感があると言われました。バンライファーの部分を取ったらどうなるかと繋ぎ直してみたら意外とすっきりしたし、おそらくテレビを見てる人からすると、こっちの方が多分見やすいんだろうと思いました。それでも今のテレビのドキュメンタリーからするとギリギリだとは思いますけど、僕の中ではかなり迎合してしまいました。

迎合かはともかく、その狙いが成功したから今回「日本国男村」は民放連の賞のグランプリ候補に残ったのでは?テレビ版「裸のムラ」は私も去年参加した中部地区の審査会で推したけど賛同を得られなかったことからすると、戦略的には良かったんじゃないですかね。

賞を取るためにそういう作りにしたという意識は一切ないんです。80分に落とし込むには何か削る必要があり、中途半端に削るよりは、題材1つ 落とすという判断でした。

今回一番聞きたかった質問なのですが、なぜあの3人を題材にしたのでしょう?

偶然と狙ったところがあります。知事とムスリムは偶然。2020年に石川テレビに入社して、2日目から報道の 取材に出ました。さっそく県庁に取材に行ったら違和感を感じて、それが出発点でした。ちょうどコロナの第1波で、未知のウイルスがやってきたことによって、人間社会の本質がむき出しになっていた。目に見えないそういう「空気」を映像化したいのがまずあった。
そしてこれも偶然ですが、当時のデスクがニュースの特集の題材としてムスリムを取材してみないかと言ってくれた。世の中がコロナ一色で人々の関心がそっちに向いちゃってるから、 これまで差別を受けてきた少数派のムスリムの人たちに、誰も気を使ってない。何か困ってることがあるんじゃないかと行ってみたら日本人ムスリムの松井さんがおっしゃったのは、いやまったく何も困ってない。むしろすごく居心地がいい。これまでは自分たちが攻撃の対象にされてたけれども、今は一切ない。 平和に暮らせています、と。取材に行く前に想定してない、意外な答えでした。
それでこの人たちをウォッチしたいなって思ったのと、あとはヒクマさん(松井氏の妻・インドネシア人)の言葉がすごく強くて、日本社会の矛盾を端的にえぐるんですよね。 この家族をウォッチすれば、日本のムラ社会からはじき出された人たちが対比的に撮れると考えて、この2つがまず決まったんですね。

ムスリム一家のヒクマさん (c)石川テレビ放送

だけどそれだと、このムラ社会の空気を描くにはまだ足りない。というのも県庁もモスクも金沢市内。できればちょっと田舎の方も見なければ。あとムラ社会の中において、 同調圧力に左右されずに自分の生き方を貫いてる人がいないかなと思って探しました。それでたどり着いたのがバンライファーの中川さんです。
そこで3つの被写体が揃いました。その段階で、今のような映画版の形に落とし込めるかのイメージは全くなかったですけど、それぞれの題材が魅力的で、単独でも成り立つ被写体でした。 その強さはすごく感じていたので、あまり関連性のない3つの題材だけど、最終的に絡ませられる、もしくは自然と絡んでくる。何か繋がりが見えるようなものとして描ければ、結構パワーのある作品になるんじゃないかという直感みたいなものはありました。完成形は見えてませんでしたが、その段階で見えてることほど面白くないものはないので。どんどん取材してって、自分の中でもいろんな発見があって驚きがあって。編集しながら構成も変えていってこの3つなら何かなんとかなりそう。そういう感覚でスタートしました。

ひょっとしたら、3つ別々のものにしようと思っていたのかなと思ったんですけど、当初から3つにうまく巡り合ったからそれで作ろうと考えたわけですね。

そうです。あと付け加えるならば、そもそも目に見えない「空気」を描こうと思ってたので、目に見えないものを映像化して社会とか人間を描こうとしてる時に、それぞれが多面的だし複雑じゃないですか。単純な話ではないと考えていたので、何と何を絡ませるかはすごく重要だったんですけど、そこはもう直感。金沢の中心部に偏らずに、いろんな人たちを出すことによって、「空気」を描こうとした。 

映画の中で何度も出てくる、知事の飲み物を用意するシーン (c)石川テレビ放送

だから、いろんな人たちを出すのがポイントだったんですね。でもあの 3人がよく見つかったもんですよね。

特にバンライファーの中川さんは、たまたま探してて見つかり、しかも僕と同い年だった。ソニーに元々勤めてて、バックパッカーみたいなことをした末に田舎にわざわざやってきてわけわからないと思ったんです。なぜそういうことをしてるのか、知りたくて。

未完成な物語の「裸のムラ・谷本編」が完成した

テレビ版では、3人の関連性をはっきり示さない未完成感が好きでした。じゃあ、映画はどうなるのか。楽しみにしてたのは、映画版は完成するのか、いや、未完成のまま終わるのかです。映画を見たら、完成したけど未完成だった。映画では谷本さんが馳さんに知事の座を、禅譲のように見えるけどたぶん観念して渡しちゃう。そこで「そもそも石川県政とは」と、谷本さんの当選した頃までずっと遡っていく。見てる側として達成感があり「裸のムラ・谷本編」は終わった、だから完結した。これは、知事選が今年あるので、1つの決着点にするつもりだったんですか?

そうですね、東風さん(配給会社)と映画化の話をする時にもその話になり、番組版そのままでは映画にはできないという点は一致してました。その後に何があるかと言えば知事選。僕は谷本さんは出馬すると思っていて、おそらく対抗馬が出てくるので、その激しい選挙戦が中盤の1つの山場になるというイメージを持っていました。それに加えて石川テレビのすごく豊富なライブラリー映像を使えば石川県政の歴史を紐解けると いうのもあった。その2つがあれば、映画にできるなと、そこも東風さんは理解してくれて、動き出したんです。
ところが取材を進めていくと、馳さんがフライング気味に手を上げて、谷本さんが出なくなった。その時には正直、馳さんがあそこまでキャラクターを立てられる人と思ってなくて、あまり登場人物として考えてなかった。でも過去のライブラリー映像を見てもそうだし、今のいろんな言動を見てても、面白い場面がどんどん上がってくる。全然立てられるとなった。途中から谷本さんが出なくてもなんとかなるし、出た場合は出た場合で、またそれで展開できるし。いろんなことを想定しながら進めてました。

終盤の主役となる馳浩氏 (c)石川テレビ放送

面白いのは、「裸のムラ・谷本編」は決着を見た一方で、ムスリム編とバンライファー編は終わってはないとも言えますね。この後、バンライファーとムスリムは追っていくんですか?

気になる被写体なので、これから僕もまた違うネタを追いかけていきながら、時々撮りに行くと思います。中川家はやっぱり、結生(ゆい)ちゃんがこの後どうなるかとか。次女の杏抽(あんぬ)ちゃんはちょうど1歳ですが、今の結生ちゃんぐらいになった時にどうなってるか。中学生になった結生ちゃんがどうなってるのかとか、 もうちょっと見てみたい気はします。

今後プランがあるわけじゃないけど、可能性としては「裸のムラ2030」ができるかもしれないですね。

可能性としては全然ありますよね。 

「裸のムラ」は、終わらない(笑

上司と会社の頼もしいバックアップ

石川テレビのプロデューサーとして米澤利彦さんという方がクレジットされています。不勉強でしたがこの方も大変実績がある方ですね。

そうです。米澤は調査報道系のドキュメンタリーをずっと作っていて、当時の彼が作ってたものと今僕が作ってるものは、作風は全然違うんですけど、すごく柔軟に受け止めてくれました。自分の時はこうだったから、お前もこうしろというのは一切なかった。「はりぼて」も見てくれていて、僕の舞台挨拶とか当時のインタビュー記事も読んでいて、俺らの時代はお前みたいな作り方は全く考えてなかったけど、時代が変われば 作るものも変わる。やりたいように やるべきだし、その考え方は、俺も理解したと言ってくれました。だから、常に後押ししてくれてますし、適切なアドバイスをくれます。今回の終盤のムスリムの一家をウクライナと絡めたシーン。あれも米澤の助言で入れたものです。試写で見せた時も何か言われるかなと思ってたんですけど、面白いね、いいね、このまま行こうと言ってくれました。

ただ当然、最初にテレビ版「裸のムラ」を放送した後は、いろんな意見が上がりました。役員会でもいろんな意見が出たそうです。理解する人もいれば、うまく消化しきれない人もいたらしくて。その時、僕が1番嬉しかったのは今はもう退任した当時の会長が、自分も正直 完全にはわからないが、今後も五百旗頭がやりたいようにやらせるんだぞと言ってくれたらしい。それを僕は伝え聞いて、さすがにちょっと痺れましたよ。

メディアが描くのか、メディアが描かれるのか?(c)石川テレビ放送

「裸のムラ」の大胆さが結実した裏にあるのは、上司の理解とトップの懐の深さだった。映画を見ているだけでは気づかないが、新しいコンテンツ作りには間違いなく必要な要素だ。その意味で、石川テレビ製作の五百旗頭作品には今後も期待してよさそうだ。そして「裸のムラ」の刺激を受けて、全然違う放送局からまったく別のドキュメンタリーが登場することに期待している。新しい表現を探すこと。メディアとして生き残るためにも、日本中のテレビ局が挑戦してほしいと思う。

(c)石川テレビ放送

映画「裸のムラ」
監督:五百旗頭幸男 
撮影:和田光弘 
編集:西田豊和 
音楽:岩本圭介 
音楽プロデューサー:矢﨑裕行 
プロデューサー:米澤利彦
製作:石川テレビ放送 
配給:東風

2022年|日本|118分|ドキュメンタリ― 

10月8日(土)より[東京]ポレポレ東中野、[石川]シネモンドほか全国順次
◇公式HP
http://www.hadakanomura.jp/

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