※ユーロスペースに置いてあった映画のチラシ
映画「はりぼて」が面白かった。富山県の地上波民放であるチューリップテレビが作ったドキュメンタリー映画で、同局がスクープした富山市議会議員の政務活動費乱用についての作品だ。2016年にチューリップテレビが報道し、全国的にも話題となったので憶えていた人は多いだろうが、あれで終わりではなかったのだ。次々と明るみになる議員たちの乱用。それを追う取材は実は今年になっても続いていた。
日本の政治はコメディだった
この映画の魅力は、政治家の腐敗を追うという深刻なテーマのはずが、大笑いしながらコメディ映画として楽しめることにある。
予告編を見れば雰囲気は十分伝わるだろう。脚本のある喜劇映画ではないかと思いたくなるくらい、政治家たちが笑えるのだ。どう見ても怪しい政務活動費の報告書。市政報告会が行われたはずの公民館はそもそも報告書にある人数がどう見ても入らない大きさだ。その点を追求するといけしゃあしゃあとウソをつく。返答に困ると「ううむ」と詰まる。見え見えなのだ。
驚くべきことに、半年で14人の市議が辞職した。公費の不正流用は犯罪だ。辞職後に3人の市議が裁判で有罪になった。
額は莫大ではない。何十億円も流用し財界に流れた、というどす黒い話ではない。数年分合わせて数百万円で、要するに飲み会なのだ。手口も印刷会社に白紙の領収書をもらったり、飲食の領収書に数字を書き加えたり。ちょっと注意してみればバレバレのやり方。
その小ささ、ちんけさも含めて地方政治家たちがどこか人間的でかわいらしくも思えてくる。「愛すべき」小悪党たち。そんな気がしてくるし、そういう描き方をしている。ただ、こんな「政治」はきっと日本中で繰り広げられていることだと思うと、涙も出てくる。私たちが民主主義というものをまったく獲得できておらず「愛すべき」政治家たちの姿にほだされてきて、なれ合いの議会が続いてきたことを突きつけられもする。まったく情けないことだし、なんとかしないわけにはいかないとも感じた。
という、ここまでは一般的なこの映画の感想だが、MediaBorder的見方では、この映画の持つ意義が倍増する。実はこのドキュメンタリー作品で描かれているのは、テレビ局自身なのだ。それを作り手たちはどう見ても自覚的に行っている。番組から映画になった価値はそこにこそあると思う。
テレビ局こそが「はりぼて」だった?
チューリップテレビの存在がこの映画ではどうやら強調されている。最初のほうで「1990年開局」とわざわざ出てくるのは、「自分たちは30年に満たないのにこんなスクープをものにしました」と誇っているようでどうもそうではないのだ。むしろ自分たちの小ささ、幼さ、心もとなさをさらけ出しているのだと思う。
そして作り手がずっと顔を出している。取材する砂沢記者、五百旗頭キャスターが政治家たちを追いかけ、放送でそれを伝える。取材しているのだから彼らが映画の中で頻繁に出てくるのは当然のようで、あえて晒しているようにも見える。決して悪を追求する正義の記者、という感じではない。むしろ愛すべき政治家たちに翻弄されまた心通じ合いながら一緒に動いているかのようだ。時には、追求するはずが丸め込まれたりする様もあえて見せている。
そして最後に二人はそれぞれ別の形で取材の現場を離れる。どこかから圧力があった、というわけでもなさそうだ。ただ、せっかくここまで続けた取材から、それぞれ離れざるをえない事情もしくは想いがあったようだ。それが何なのかはわからないのだが。
最後に二人の言わば「別れ」が描かれることで、映画の印象はそこに集約されていく。結果、この映画が残すのは実は地方政治のどうしようもなさより、地方局の心もとなさだ。
考えてみれば、ここで描かれたのは「調査報道」の好例だ。市役所に情報公開請求をして得られた資料を丁寧に確認していく、そんな途方もない作業から政治家の「ウソ」を暴き出した。これこそが報道に求められる役割だろう。二人の現場との「別れ」が描かれたのは、今後のテレビ局における調査報道の困難さが感じられたように思う。少なくとも、「私たちチューリップテレビは次々に不正を暴いていきます」という意気込みは見てとれない。
報道はこれからどうなるのか。地方テレビ局で報道は続けられるのか。そんな自問をして終わっているように感じた。その点こそが、実は「はりぼて」を観賞する意義ではないだろうか。
映画「はりぼて」は8月末時点では東京・大阪・名古屋で公開中だが、全国で順次公開されることが決まっている。MediaBorder読者にはぜひ見てもらいたい作品だ。
映画「はりぼて」公式サイト→https://haribote.ayapro.ne.jp/
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