テレビはエンターテインメントを次々に送り出す玉手箱。子どもの頃はそう思っていた。いまも私にとってのテレビはそれがベースにあると思う。だがふと気づくと、テレビはさほどエンターテインメントを送り出さなくなっていた。そもそもエンターテインメントが何かもよくわからなくなっている。なんだっけ、それ?もう今のテレビは玉手箱ではない。それでも面白がっているのは結局なにがあるのだろうか。
そんなことを考えたのは、先週番組審査会に参加したからだ。民放連の番組コンクールは各地域で部門別の予選が行われ、勝ち残った番組が最終審査にかけられる。私は、ある地域のエンターテインメント部門の審査を仰せつかった。審査員はあらかじめ応募作品20点近くを見ておく。7月の土日は応募作を見るために費やした。力作ぞろいなので見応えはあるのだが、立て続けに番組を見るのは骨が折れた。
審査会に臨む前に事前に点をつけておかねばならない。さてどう点をつけよう。と考え始めたらわからなくなってしまったのだ。
というのは、応募作品のほとんどはドキュメンタリー番組だった。落ち着いた真面目なタッチのものから、コミカルなもの、柔らかいものまで幅は広いが、何かの題材を長期間追うドキュメンタリーばかり。そこで、点をつける段階で「あれ?」となってしまった。エンターテインメントとなると、「笑えた」「愉快だった」「楽しかった」番組を選ぶべきだと思うのだが、そう言える作品は少ない。「愉快だった」順番に並べるとどうも腑に落ちない。エンターテインメントとしてはともかく、ドキュメンタリー番組として優れた作品もあるので、番組コンクールとなるとそういうものも選びたくなる。広い意味のエンターテインメントとして「面白かった」「見応えがあった」という評価もできるのだ。
自分でも決着がつけかねたし、審査会でも私同様エンターテインメントの定義にこだわった人ととにかく自分として良い番組を選んだ人と、選択にギャップができていた。民放連の審査形式についてはこれ以上ここで書くつもりはないが、結果私の胸に「エンターテインメントってなんだっけ?」という問いかけが強く残った。
そのことと、この数週間の吉本興業の騒動、さらにはジャニーズ事務所の一連の動きを重ね合わせると感慨深い。そう、テレビにとってエンターテインメントは転機を迎えているし、それはまたテレビそのものがターニングポイントにあることを顕にしていると思うのだ。
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