MBC南日本放送・中村耕治会長
前回の記事に続いてMBC南日本放送に取材した記事をお届けする。今回は、この6月をもって社長から会長に就任した中村氏のお話を記事にしたい。(読んでない方はぜひ前回から読んでほしい→地域密着をさらに進化させる。MBC南日本放送の取り組み)
MBCの現会長、中村耕治氏と初めてお会いしたのは2015年の民放大会の場だったと思う。実はMBCの当時の大阪支社長、八尋雅彦氏が私の中学高校の同級生だった。大阪で開催された民放大会のテレビシンポジウムで私はコーディネーターを務め、その際に八尋支社長から当時の社長として中村氏を紹介された。その後2016年にMBCを取材で訪れた時はお会いできなかったので、今回の取材でお会いするのは二回目だった。
だがその大阪支社長(今は東京支社長になっている)から聞く中村氏の話、そして切通氏や俵積田氏への取材で時折触れられる中村氏は、常に「言葉」とともに語られる。中村がこう言っているので。中村に言わせるとこうなので。何らかの理念を短い言葉に凝縮して部下たちと話しているのが伝わる。その言葉を受け取ることで中村氏の理念が現場で具現化されているのだと思う。
もともとコピーライターの私から見ても、それらの言葉はよくできていると感じていた。切通氏、俵積田氏への取材のあと、間接的に聞いていた数々の言葉を軸に、中村会長にお話をうかがった。その前週には東京支社で、7月に社長に就いた中野寿康氏にもお会いした。中野氏からうかがった話も織り交ぜながら記事にしたい。ちなみに中野社長に「中村さんが会長に退かれて・・・」と言ったら「いや、中村は"退く"人間ではないので」とおっしゃっていたのが笑えた。
慌ただしい「東京時代」と対比させた「かごしまじかん」
この画像は、今年の元旦の新聞広告だ。新聞1ページにどんとこれが載った。キャッチコピーが「かごしまじかん」。まさにコピーなのだ。
もともと「あまみじかん」「やくしまじかん」というラジオ番組があり、そこから生まれた言葉だ。鹿児島の豊かな自然と文化の中で流れる「かごしまじかん」。それは世界に誇れる宝物だ、とボディコピーで説いている。
MBCの地域密着の精神を集約した言葉であり、明治以来の中央集権と慌ただしい時代を「東京時代」とするなら、それに対するアンチテーゼでもあるのだ。古い時代に戻るようにも見えるが実は、新しい時代への力強い宣言なのだと思う。放送局としての姿勢を打ち出した言葉だが、「かごしま」をそれぞれの県に置きかえればどの地域でも持つべき指針とも言えるかもしれない。まっすぐな意志が伝わってくる言葉だ。
明治維新150年の今年、東京中心のこの国へ物申すように「かごしまじかん」を掲げているのが面白い。何しろ、西郷どんの国なのだ。中央集権体制をつくりながらもそれに抗った薩摩の精神も、この言葉には流れている気がする。
これは新聞広告があったのでビジュアル付きだが、以下は言葉をスライドにしてお見せしていこう。
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