テレビとネットの横断業界誌 Media Border

2022年09月号

テレビ局が再編するなら、ローカル発で議論すべきではないか?

2022年09月06日 09:43 by sakaiosamu
2022年09月06日 09:43 by sakaiosamu

3分の1が全体を決めていいのか?

日本のテレビ局は再編が必要。いつの間にかそんな前提でこの国のメディアの将来像について議論が始まっている。例えば総務省による有識者会議「デジタル時代における放送制度の在り方に関する検討会」ではインフラ共有などが議論され、また2つのキー局からネットワーク局に関わる制度の改正について提言がなされた。それらは非常に前向きで、今まで表立って議論しにくいと思われていた事柄をはっきり表に出していて評価できる。

だが一方で、ローカル局からの意見は少なくとも誰かが顔出しで会議に出席する形では出されなかった。マル研(マルチスクリーン型放送研究会)がローカル局の意見を代弁するような形で意見書を提出した。また総務省の「まとめ」に対するパブリックコメントには110件の意見が出たうち、73件が放送関係事業者等とあり、民放連以外は放送局だった。会議の座長、三友仁志氏(早稲田大学大学院教授)は長野や愛媛に足を運んでヒアリングするなど特にローカル局の意見を求めたいた様子だが、どうやら「顔出しで意見を述べる」ことをローカル局はためらったまま中間地点まで来たようだ。

テレビネットワークは在京キー局がまとめ役であり、その意図がネットワーク全体をリードする。決めるのはキー局。ローカルは従うだけ。放送業界は長らくそんな空気でやってきた。なにしろローカル局はキー局からのネットワーク配分金がないと経営が成り立たない。

だが、これまではそうだったろうが、これからもそれでいいのか。そして、日本全体の放送の在り方を総務省やキー局主導で決めていいのだろうか。むしろローカル局が主導すべきテーマではないか。それにキー局だってすべてのローカル局を背負えるかというと心許ないはずだ。

ローカル局が主導すべきだし、もっと言えば自分のエリアの今後の姿は、自分たちで決めるべきではないだろうか。なにしろ、キー局のエリアは関東に過ぎない。人口で言うと1億2400万人のうちの4300万人でしかない。3分の1のエリアの局が全体を決めるのが適切だろうか。むしろ残りの3分の2のエリアでローカル局の今後を議論する方が妥当ではないか。

身近な情報がこれから価値を増す

テレビ番組には大きく分けて2種類ある。報道を中心にした情報番組と、ドラマやバラエティを軸とした娯楽番組だ。前者は新聞に近く、後者は映画に近い。正反対の要素を併せ持っていたのがテレビだ。

そしてどちらかというとテレビは娯楽が中心、次に情報だった。娯楽を見せる合間に情報も見せていた。もっともよく見られるゴールデンタイムには娯楽を見せ、朝や昼間、夜遅くには報道・情報番組を編成した。華やかなドラマやバラエティが主役で、やや柔らかい情報番組、真面目な報道番組。そのバランスをとって役割を果たしていた。

そこへ配信サービスがやって来た。Netflixやアマゾンプライムビデオなどがハリウッドを中心に世界中の映画やドラマを配信する。そこに日本の若者のエンターテイナーが低コストで制作した動画をYouTubeで配信している。この2つがテレビ視聴時間を少しずつ侵食しているのが現状だ。

その影響が顕著に出ているのがゴールデンタイムだ。特に今期に入って、ゴールデンタイムのテレビ視聴があからさまに減少している。どうやら配信サービスの普及の影響のようだ。この辺りについて私は、7月にYahoo!に書いた記事でデータを検証している。

テレビ視聴率が4月以降急減 視聴者のゴールデンタイム離れ進む(境治) - 個人 - Yahoo!ニュース

テレビが配信に侵食されている。それは間違いなさそうだが、一つ注意すべき点がある。配信サービスは娯楽コンテンツだらけだ、ということだ。YouTubeには一部、特定の分野で濃い情報を配信するチャンネルもあるが、Netflixなど有料サービスは娯楽一色。しかも世界中の才能が驚くような予算で制作した飛び抜けた娯楽だ。日本のドラマやバラエティが太刀打ちできそうにない。そうしたコンテンツが、テレビのゴールデンタイムを奪っているのだ。

逆に言うと、報道・情報の映像ではまだまだ強いライバルはいない、ということだ。ここは重要なポイントだ。テレビが配信に圧倒されているのはあくまで娯楽分野のコンテンツであり、報道・情報分野ではない。そこではまだテレビは優位に立っている。だから突然の大きな出来事が起こると、例えば過日の安倍元首相の銃撃事件ではテレビ局が一斉にその最新動向を追い、何の進展もないのに国民が釘付けになる。あの日、キー局はTVerで予定外の同時配信を行ったが、正解だ。ネットメディアとしてもテレビ局は情報を送り出す存在意義を示せたのだ。

そしてローカル局は報道・情報の入手先として、それぞれのエリアで必要だ。5月に京都産業大学の脇浜紀子教授に呼ばれて学生たちに講義した際、いくつか質問をした。その中の「ローカル局は必要か」との問いへの回答結果を見てもらいたい。

「なくてもいい」が36.3%、「ないと困る」「あった方がいい」合わせて63.7%いた。テレビ離れと言われる20歳前後の若者たちがローカル局は必要だと答えている。「ないと困る」は少しで「あった方がいい」が大半なのも面白い。なくても困りはしないかもしれないが、あった方がいい。そんな彼らの感覚が感じられる。

何人かに理由を質問したら「周りの情報がわかるメディアがない」と言っていた。ネットも実は、ローカル情報は弱いせいだろう。「情報」という言葉が印象的だ。テレビ局の人たちはひょっとしたら勘違いしているかもしれない。娯楽ではなく、テレビには情報を求めている。だから「あった方がいい」のだ。

放送の社会的役割について高邁な議論になりがちだ。民主主義を守るためなどとよく言われるが、「情報が欲しい」というのは少なくとも民放の存在意義としては感覚的に正しいのではないか。民主主義を守るため、という仰々しい存在意義より、周りの情報が欲しい、というのはむしろ親しまれる存在ということだと思う。それこそが民放ローカルの存在価値であり、これからもその価値は残るだろう。

それぞれのエリアのメディアは、そのエリアのメディアが決める

私は九州・福岡出身だ。だから福岡の、そして九州の未来が気になる。エリアの未来を考える上で重要なのがテレビ局だと思う。

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